告別式 842

7日11時からの告別式を前に、親友吉崎雄一ちゃんと我が家の墓参りをした。昨夜飲んだ亮ちゃんが、迎えに来てくれたのは、私がスナックに携帯電話を忘れて帰ったからだ。携帯電話に全ての住所や電話番号が入っているので、誰にも連絡がつけられなくて、「携帯難民📱📱📱」状態だった。途中で『またみ生花』で墓前に供える花を買って🌼🌸から、まず『安住寺』の雄ちゃんの墓参りを済ませる。

▲養徳寺と藩主松平公の墓

杵築は城下町で、江戸時代にお寺を集めた寺町という一角がある。一番下は佐藤孝義先生の菩提寺の『長昌寺』で、我が家は『養徳寺』と言って『男はつらいよ』の舞台にもなり、後にこれが縁で夫婦となった沢田研二さんと田中裕子さんが出演した。

殿様の墓があって、ちょうど『雛(ひいな)祭り🎎🎎』の最中だった。4月27日には、ここで33回忌の法要をやってもらうので、奥さんに挨拶しておいた。

告別式には、ギリギリ間に合った。長昌寺の若い住職は、この日もせっせと「南無阿弥陀仏」を参列者に唱和させること70回、大サービス❓だった。昨日から通算120回、ここまで来ると『偉大』の一語だ。おそらく杵築で一番有名な住職になるだろう。密葬する際には、花を💐🌼🌸沢山入れてあげた。喪主の俊一さんが、「親父が冥土の旅で退屈しないように」と言って私の書いた『週刊文春』の「トイレ探検隊」のページを開いてお棺に入れてくれた。

火葬場まで同行し、御斎まで付き合ったので、再々度「南無阿弥陀仏」を70回唱えて終わりになったので、私が「和尚さん、あと10回で200回なのでお願いします」と頼むと、「アンコールは初めてです」と喜んで〆の10回を合唱した。この後しばらく耳元で「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」が聞こえていた。

▲中学1年の時から親友A部長夫(手前)とK人譲治 帰郷のたびに飲む

御斎が済んで1時間半後には、親友のA部長夫とK人譲治の3人で旧交を温めた。もちろん『いち屋』で、刺身はヒラメとアジで、密かに持ち込んだSBのチューブわさびでアジを、ヒラメはもみじおろしで食べた。杵築に住めば毎日食べられるのだが•••。客は我々3人だけだったので、奥さんの貞子さんを交えて、ジュッさんの思い出話を語り合った。来年が早くも17回忌だと言う。これで滞りなく日程を終了した。中々心温まる2日間だった。

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