恩師 佐藤孝義先生の死 ② 通夜 840

飛行機✈️の中では、ブログをアップした後、iPad で読み終わってなかった『チンギス紀』を開いたものの、眠くて眠くて💺10分もしないうちに、だろう?、眠ってしまった。目覚めたのは、着陸態勢に入って🛬からだった。空港から杵築市内にはローカルバス🚌🚌が出ていて30分ほどでバスターミナルに着いた。乗客は4人でこれじゃ大分交通も大変だ。別府や大分には空港から高速ノンストップバス🚌🚌が出ていて、乗客も並んでいたが、それでも経営は厳しかろう。

昼は、横浜駅を通ったので、もちろん『鈴一』で、いつもの「きしめん全部入り」を食べてきたが、午後6時からの通夜まで1時間ほど時間があったので、ターミナル近くの『杵屋』で「ちゃんぽんうどん」を食す。これは去年帰郷した時に初めてこの店で知った、「ちゃんぽん」らしくない「ちゃんぽん」で、東京で云うところの「五目うどん」かな。葬儀場に着く前に、途中にある『たまみ生花』で、昨日頼んだ生花の代金を支払う。田舎は全て現金でカードが使えないから要注意だ。

会場には6時前だと云うのに、かなりの人が来ていた。受付で「真理ちゃん元気?」と長姉の同級生から声をかけられる。「いやぁもう死んどるかもしれませんね。20年近く音信不通ですから」これと同じ会話をこの後何度もすることになる。長姉は潔癖症?で、私が離婚したことに超超激怒、以後一切交流がない。二人の姉は、そこそこ田舎の美人で、そこそこ田舎の秀才だったからよく知られていた。それに引き換え私は「小俣先生ところの馬鹿息子」と言われていた。そんな私を佐藤先生、通称「孝ちゃん」は、小学3年で担任になった時から「大器晩成、大器晩成」と言って庇ってくれた。とうとう先生の期待通りには「大器」にもなれず、「晩成」もしないまま歳を重ねてしまった。それでも2003年に本を出した時は、涙を流して喜んでくれた。

喪主の俊一さんに挨拶を済ますと一番後ろの空席に腰を下ろした。95歳の大往生ともなるともはや教え子も80〜50代で、老人ばかりの葬儀だった。浄土宗の葬式というのは、何度も出ているが、『長昌寺』の若い住職は、何と「南無阿弥陀仏」を10回ずつ5回、つまり50回唱えさせた。流石に最後の10回の時は、会場から失笑が漏れていた。極め付けは、「今日は通夜ですので、朝までとは言いませんが、心ゆくまでご一緒にお過ごし下さい」の言葉に、私はそのつもりで来ているから平気だったが、結構皆ドキッとしたようだった。しかし本来の葬儀というのは、こういうのが行われて来たわけで、今の時代がはしょり過ぎとも言える。そういう点では、若いのに中々出来た住職だと思う。念仏も心に届いた。通夜の式が終わると、先生のお棺の前で、同級生たちと昔話に花が咲いた。子供を呼び捨てにしない、皆「ちゃん」「さん」「くん」で呼んでいた優しい先生だった。

スポンサーリンク

フォローする

スポンサーリンク