正当な夜回り / 546

昨日は三国さんと5月に開く出版記念パーティーの打ち合わせをすますと、いつもの西新宿・タマル商店で、N協会時代から続いているI手さんとの飲み会に出かけた。ここは新鮮な刺身が食べきれないほど並び、大鍋にはアンコウ。食べても食べても料理が出てくる。飲み放題だが、60過ぎたら食い放題、飲み放題はあまり関係ない。とにかく安すぎて、美味すぎる、「すぎる」店なのだ。昨日もサラリーマンでごった返していた。

I手さんことI手上伸一さんは、あの放送局で数少ない尊敬できる先輩の1人だ。こうしてU滝(賢二)ちゃん、O方徹さんと4人で四季折々、酒席を囲むようになって15年くらいになるだろうか。昨夜の「春の会」は、O方さんが病気で欠席、3人会になってしまった。

私がN協会で一番親しいのは、いまは北九州にいるY野敏行さんで、鹿児島局時代の県警キャップ。手下が私とY田哲彦、通称てっちゃんで、3人まとめて「カピバラ軍団」と呼ばれていた。記者のイロハのイから教えてくれた人だ。そのY野さんの大親友がS野武さんで、その関係で私も「シゲちゃん」と呼ぶほど仲良しだった。Y野さんの青森放送局時代の後輩だったのがI手上さんで、私とは警視庁で2ヶ月ほど重なったあと、1年後に司法キャップとして上司になった。つまり一番年上がシゲちゃん、次にY野さん、そしてI手上さんというのが私のN協会時代の親密関係だ。

そのシゲちゃんが、E老沢派の大番頭、右腕だった関係で自然に我々もE老さん派になったというか、ヤクザの世界で言えば、盃をもらうことになった。だから山口組でも竹中組や加茂田組があったように、E老沢派でも、A木組とかいろいろあったけれど、我々はS野組ということでまとまっていた。S野さんは、後に政治部長、編集主幹、報道局長、理事になったが癌でなくなった。今年が13回忌になる。古いね。学生運動やっていた頃から、高倉健さんの信奉者だから、ついつい発想がアナクロニズムに陥りやすい。まぁ笑わば笑えである。私のブログを読む人は、私の阿呆さ加減が分かっているので、誤解もしないだろうし、説明する必要もなかろう。

で社会部の中では、I手上さんが親分だった。警視庁捜査2課、司法キャップ、社会部デスク、社会部統括、社会部長、編集主幹、報道局長と功成り名を遂げた。その取材マインドや特ダネ主義、ニュース第一主義などの影響を受けた人脈は、今のK田真介部長まで脈々と続いている。特ダネや説得力のある企画を出さなくて、「〇〇デスクと仲良しだから・・・」という仲良しクラブ的発想は徹底して排除されていた。

あのころの社会部が強かったのは、若手の充実にある。我々デスクの下には、文部のH川君、何でも頼めるT橋宗ちゃん、裁判に強いY君や気象災害のS木ちゃん、事件のN村、O木コンビ、裁判で堅実なT橋聡君、医療の万能記者K山君、何でもこなせるK(田)ちゃんとH坊、細心にして大胆な特ダネ記者のM(坂)ちゃん、頭脳明晰、社会部には数少ない知的判断力に優れた(T々)力ちゃん、人たらしのN(野谷)ピー、オールマイティーのM脇、いつも頼りなる困ったときのF岡君、T村君、事件ならY(森)坊、T大・Hバード大学院修了とは思えない腰の低さで特ダネをとるK(場)ーヤン、面倒なぐしゃぐしゃの案件も平然とやってのけるT橋S吾くん、地道な取材でドカーンと抜く、番組作りの名手(N嶋)太一ちゃん、事件を通じて全般を俯瞰できるN協会屈指の特ダネ記者のK(田)ちゃん、そして防災のH爪ちゃん、防衛問題のO貫君・・と挙げだしたらキリがないほど、そうそうたるメンバーが揃っていたし、それを実力を蓄えたK田君やT井君、I田君、冷静沈着のH部君・・・たちが支えていた。女性陣もF田美和ちゃん、G千恵、Sむちゃんとか男性記者以上の実力派が鎬を削っていた(たまたま私が司法キャップや遊軍デスク、社会部統括時代に直接一緒に仕事をしたり、取材を頼んだりした人たちを思い浮かぶままに記しただけだから気にせんといて。当時のクラブ、警察庁とか警視庁とか外の記者クラブの人たちは、たまたま接する機会が少なかっただけやねん)。だから私のようなぼんくらの先輩でも、キャップやデスクや統括をつつがなく過ごせたのだと感謝している。これも偏に”I手上イズム”が浸透していたからに他ならない。歴代の社会部長を見ても、いずれも特ダネや名企画で名を成したきた連中ばかりであることからも分かる。I手上イズム=成果主義は、とかく批判されがちだが、成果を上げない記者をどう評価しろというのだろう?

今回の飲み会でも、この時期の話題は自然と「強姦魔記者」になった。2人の話は、差し障りがあるかも知れないので割愛するけれど、私は、記者とデスクのコミュニケーションがどこまで保たれていたのだろうかが気になった。自分の記者人生を振り返ると、Y野さんの受け売り、まぁ私は道聴塗説の徒だからY野流に言えば、「面倒見のいいキャップやデスクと記者の二人三脚が重要だ。特ダネはそこから生まれる」といまでも思っている。「あいつのことは、俺が知っている」「あいつのことは、俺が責任を持つ」という関係がいまは希薄なのではないだろうか。そういう”時代”ではないと言ってしまえば、それまでだが、それは”時代”に名を借りたデスクやキャップ、いや記者の逃避ではないか。

強姦魔記者が、例え記者になる前からそうした性癖があったかもしれないにせよ、取材の面白さ、特ダネを取る楽しみを知っていたら、また知ろうとしていたら、本当の夜回りに忙殺されて、毎晩知らない女性の所に夜回りに行くようなことは、なかったかも知れない。夜回り報告を毎晩仕合うキャップやデスクはいなかったのか?それを聴いてやるキャップやデスクはいなかったのか?情報を突き合わせる同僚はいなかったのか。今の取材態勢はどうなっているのか。情報を交換し合う仲間を作らなければ、取材が独りよがりに終わってしまうだろうと危惧してしまうのだが。

「今の時代、夜回りしたか?と訊くと『パワハラだ』といわれ、強く言うと辞めてしまう」と冗談のような話を聞くたびに、「そん記者はいらない。辞めてもらえ!!」と言いたい。記者や消防士、警察官といった職業は、ある意味身体を張ってなんぼの商売だから、それが嫌だったら最初からなるべきじゃないし、本当にやりたい人は、まだまだいると思う。頭の良い者だけを取り過ぎるのもいかん。視聴者に対して知らず知らず上から目線になっている恐れがある。学校や学歴は記者には5の次、6の次、いやいらんと思う。「人物を読む」のが人事の妙だろうに。「記者が好きで、好きで、好きで志望した」という熱い志を持った若者はいるだろう。

いまでも鹿児島時代、1年下にY田哲ちゃんが来てくれたときの歓びは忘れられない。素直ないい後輩だったから、なおさら良いところを見せようと取材に頑張ったものだ。彼も「一平ちゃんを負かしてやろう!!」と思って真剣夜回りをするから相乗効果になった。これにY田英幾さんが加わって盤石の態勢だった。

「まず警察署の署長、次長、課長、係長、班長は最低限各署を廻って顔と名前は覚えておくこと。次に各消防署の署長、副所長も同様・・・。何か起きたとき、デスクや副部長から『あそこは誰が署長か?』と聴かれて即答できるように、恥をかかないために事前に挨拶はしておけ!!」というのが、Y野キャップの第一声だった。つまりいつ何があっても大丈夫なように準備を怠るなということだった。それは今も変わらないと思う。

長く書きすぎたが、書き足りない気がする。まぁこれを読んでいる友人達は、「おまっちゃん、今さら」と鼻で笑っているかも知れないけど。

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