最期の教授会 / 536

 きのう3月21日(あっ本田靖春さんの誕生日だ。流山の病院でお祝いしたなぁ)、最期の教授会に出席した。16時45分から18時20分まで、いつもよりは短いかな。終わりの5〜6分は、私のお別れの挨拶だ。

 東京都市大学に勤め始めたのは2010年4月だからまる7年間在籍した。お世辞でなく、本当に心安まる職場だった。大学というのはどこもこうなのだろうか。

 意地悪というかイヤミな先生が1人もいなかった。多くがフレンドリーか寡黙で、ギスギスした雰囲気が微塵もなく、掛け値なしで好い職場だった。大学人というのは、他人から干渉されたくないから、自分以外の人に干渉しないという黙契があるのではと思わせるほど、不干渉だった。教員もそうなら、職員もそれに輪をかけて愉しい人が多かった。これが私にはパラダイスだった。

 前の職場N協会では、してもしなくても、何か事あれば「小俣だ!」「おまっちゃんか?」 と言われた。全く見当違いな話でも、何かと言えば登場する憂き目に遭った。しょげていると会長のE老沢さんが、「小俣君、悪名は無名に勝るだよ」と言ってくれるのだが、全然慰めになっていなかったのが可笑しい。定年後、関連会社に行かずに、我が道を選択したのも新天地を求めたからだ。それは正解だった。

  <研究室から眺めた大学の敷地内の竹林、山林。東側(左側)に果樹畑が広がっている>

 キャンパスは中川といって、田園都市線のあざみ野から横浜市営地下鉄で1つ目にあった。抜群に環境が良く、緑豊かで、4階の研究室の窓から天気が好いと丹沢や遠く富士山が望めて日々爽快な気分にさせてくれた。眼下には緑の林や竹藪が続いていて、季節になるとタケノコやゴーヤ、栗、柿を抱えきれないほど貰って帰った。気が合う先生というか、教授会で席が自然と近い先生同士、大倉山のほうろく屋で2月か3月に1回は飲みに出かけた。これには環境学部の先生も参加して、昆虫の生態の話を聞きながら飲む酒は愉しかった。

<孫のような娘と 帽子とバッグは信三郎帆布、ジャケットとパンツはPAPASが定番だった>

 別れの言葉は、以上のように①7年間パラダイスの生活だったこと ②学生は、性格が大らかで気さくな反面、99%が挨拶をしないのか、出来ないのか。企業説明で外部の人たちが沢山来ていても挨拶一つ出来ない。これでは社会に出て大丈夫かと気になるので、是非挨拶から指導して欲しい。最後に、好きな言葉に「笑って進めばほぼ無敵」と「禍福はあざなえる縄のごとし」がある。そう思って過ごすと気持ちよく日々を送ることが出来るはず、私は嘘と髪は結(言)えない、と。

 研究室の片付けが終わったので、21日が最後かと思ったら身分証明書を返し忘れていたので、明日夕方持って行く。あす23日が横浜キャンパスを訪れる最後となりそうだ。

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