さよならT京都市大学 / 543

今朝はベッドからすぐ飛び起きて、さっさと朝食を済ませ、午前8時半前には大学に向かった。久しぶりに脳天が痺れそうなくらい両足のサイドが痛い。脊柱管狭窄症の最悪のパターンだ。巧く足を前に出せない。道路の端によけて、腰をくの字にかがめ、頭を膝下につくように曲げると痛みが和らぐ。「お父さん!それを駅のホームや階段でやると痴漢!!と騒がれるから絶対にやらないでね」と娘が、毎日のように口を酸っぱくして言う。「U草何とかさんじゃあるまいし、鏡持っていないし、写真撮るわけじゃないし、のぞき込むわけじゃないし!!」と強く反発すると、「お父さん、いまはそんな何でも好意的にとってくれる甘い時代じゃないんだから」とやり込められる。

<7年間通った都市大横浜キャンパスの中庭>

大学へは午前9時過ぎに到着。1号館2階の事務室に職員証と内線電話番号簿を返却。この7年間のお礼を言って、1階の事務フロアーに。ここでも学習支援やキャリア支援の大勢の職員の方々にお礼を言い、次に図書館や情報事務センターの職員の方々に、7年間一番良く顔を出した3号館5階の学務事務室で、最後の最後のあいさつをする。都市大は、お世辞でなく、この事務職員の方々が、気さくで、朗らかで、親しみやすかったばかりか、有能な人が多かった。彼らのお陰で、とても過ごしやすい教育環境だった。ありがとうございました。

  

<3号館401号室 O俣一平研究室 ⇒ T田昌幸研究室>

最後に研究室を覗くと、この前の私たちの掃除から、さらにピカピカになっていた。業者が入ったからで、窓も絨毯も何から何まで拭き掃除が施され、これなら後任のT田昌幸教授も大満足だろう。というか写真をメールで送ったらビックリしていた。彼は今週末の30日に上京してくると言うから、そこから彼の思いのままの”T田カラー”を出していくことになる。本は重複して持っているのが、ほとんどだろうから古い方を捨てればいい。とにかく大学教員生活は、何物にも代えがたいほど愉しいからすぐ馴染むだろう。充実した7年間だったから断言できる。

2010年に赴任した直後の挨拶状が、机の奥の引き出しに挟まった状態で出てきた。読み返すと今も何も変わっておらず、懐かしい。Out of sight  out of mind(去る者は日々に疎し)名残惜しさは、別れにはつきもの。逆光だったけれど、通りがかった学生に記念写真を撮ってもらい、午前10時前に横浜キャンパスを後にした。

   <ハガキ中の私の都市大のメールアドレスは、4月いっぱいで通じなくなります>

その足で世田谷の本部キャンパスで行われる退職辞令式に臨む。いつもは東横線田園調布駅前からタクシーで大学に向かうのだが、今日は田園都市線溝ノ口に出て、大井町線に乗り換え尾山台から歩いた。右が等々力、左が尾山台と高級住宅が並ぶ。その合間を縫うように坂道を下ると世田谷キャンパスがある。辞令式は極めて形式的にすすめられ、記念撮影が終わると立食の懇親会。環境学部のY崎真司学部長とメディア情報学部のN村雅子学部長がわざわざ立ち会いに来てくれて恐縮した。記念写真を1枚。とうとう彼女とは呑むことも食事をすることもなかった。退職間近に食事に誘われたが、スケジュールがぎっしりで、実現できなかった。まぁお互いに専門が違うし、会話に困っただろうから、それで良かった。

懇親会に20分ほど付き合って、同じフロアーのY萩さんの席に挨拶に行く、が昼食時間に入っていて残念ながらお会いできなかった。Y萩さんとは彼が昨年まで横浜キャンパスにいた6年間大変お世話になった。特に私が「市民講座」担当だったことから、広報から講演会前後の様々な事務手続きなど、わたしでは気がつかない数々のことをY口めぐみさんと一緒に何から何まで助けて戴いた。恩に着ている。

お嬢さんの史歩ちゃんが、日本でも有数の女子駅伝の選手で、高校の東京代表であることを仄聞し(今はD東文化大学で活躍している)、厚かましくも我が娘も長距離ランナーを目指している話をしたのが切っ掛けで、2人で大学の食堂でランチを食べながらよく競技話に花を咲かせた。特に史歩ちゃんが続けている「ランニング日誌」の話を聞き、「日誌を書いて、読み返すとモチベーションが上がるらしいよ」と話したら早速始めた。あれが中学1年生の頃だが、いまも続けている。秋から冬の駅伝シーズンになると、テレビの前で声を出して史歩ちゃんを応援している。

今日(28日)午後は、隣の研究室のL洪千さんの引っ越しで、娘は府中での練習帰りに手伝いに立ち寄るという。のでLちゃんに詳しい様子を電話で聞くと、荷物の運搬などは全部引っ越し屋さんがやってくれるので、彼女は留守番役でいいという。午後3時に引っ越し屋さんが、たまプラーザの部屋に来るというから、それまで時間があるので、妙蓮寺の岩月で待ち合わせる。ここの蕎麦は、昔ながらの蕎麦の香りがして盛りやざるが美味い。が2人とも温かい山かけ蕎麦にする。彼女は大盛り。山芋が汁に溶けて、卵の黄身と絡み合って口中に広がり独特の味わいだ。重い競技用のリュックを私が自転車に積んで持ち帰る。彼女はそのまま元住吉に戻り、Lちゃんの新築の家に。私はまだ住所も知らないが、日吉との中間点らしい。

娘からの電話報告では、たまプラの荷物は1時間ほどで詰め込み終了、40分ほどしてから到着したという。冷蔵庫が大きすぎて下から2階のリビングに上げるのは難しいらしく、リフトでつり上げて、窓から入れたという。「ついでにサービスで3階の部屋に、ベッドもつり上げて入れてくれたんだよ」と嬉しそうに声を弾ませて話す。「そりゃ確見たかったな」と応じる。午後6時過ぎには全て終了した、というからかなり効率のいい引っ越し屋さんのようだ。

  このあと午後7時15分から「退職祝い+引越祝い」を、Lちゃんお気に入りの東天閣横浜店で行った(彼は新宿の『高麗』も美味しいと強調。でも「東天閣も十分美味い・・・」と、何やねん!?)。私はこの店の「壺漬けカルビ」「壺漬けロース」「壺漬けミノ」が贔屓で、長芋のキムチもお気に入りだ。カルビ、ロースなどを一通り食べた後でも、4人なら壺漬け三種もペロリだ。ここはご存じの向きも多いかも知れないが、テレビT京の『孤独のグルメ』で紹介されていた川崎店の姉妹店だ。これだけ美味ければ、私には大大満足だ。

Lちゃんの部屋は、まだエアコンがついていなくて、寒かろうということで、我が家に泊まることになった。随分疲れていたのだろう、帰ってからコーヒーを飲もうとしている内に、ソファーで爆睡してしまった。Lちゃんは、大学の雑務も沢山抱え、研究会にも沢山参加し、日韓文化事業にも沢山関係していて、とにかく「沢山」が沢山すぎるので、甥のように思っている家人ならずとも、彼の健康には私も心配している。「当分エアコンはつかないだろうから、温かくなるまでウチから出かけたら」と言っておいた。7、8年前も山の上の我が家によく泊まりに来ていたのだから。

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