もの好きである。小学2、3年生の頃、台風接近の大雨の中、こっそり家を抜け出して、ずぶ濡れになりながら裸足で町中をウロウロしたり、サーカースを観に行った帰りに、自分もと木から木へ飛び移ろうとして3メートルくらい上のところから真っ逆さまに落ちて病院に担ぎ込まれたり、止めときゃ好いのにと傍目が思っても、ついついやってしまう。
土曜日は若い友人たちと渋谷のエスタシオンカフェでお茶を飲んだ。1人はN協会のバリバリの現役で、「会長が代わって局内の空気が一変した。笑いがこぼれる環境に戻った」と、とても喜んでいた。確かに前会長は酷かった。いや酷すぎた、人間としても、品格の無さといい。この俺が品格を言うのか?! 絶句っす。
このあと三田で開催している私が所属している「社団法人 ゆかり協会」の定期講話会に駆けつけた。いや駆けつける途中、目眩がしそうなくらい腹が減っていたので我慢出来ず「三田製麺所」で、つけ麺「三田盛り(半熟卵+ノリ+チャーシュー)」これに、ちょこっと野菜と薬味ねぎをトッピング。しかもよせばいいのに中盛りにしてしまった。その分20分遅れた。とはいえ、もともと不参加の予定だったが、時間が少し出来たので有効活用しようと顔を出した。
この日のゲストスピーカーは、高齢者や身体の不自由な方々の外出を支援するNPO・日本トラベルヘルパー協会代表理事の篠塚恭一さん。寝たきりや閉じこもりがちの高齢者を、外出や宿泊を伴う旅行に連れ出し、もう一度生きることの愉しみを思い出してもらおうと手助けをしている。ベッドから出られなかった80代のおじいさんが、彼らのサポートで遠出したり、鹿児島まで旅行したりして自信をつけ、今度は北海道の姪に会いに行ったなどの実例が興味深く、講話とスライド写真に引き込まれてしまった。会場は20人ほどの常連メンバーばかりだが、80代も何人かいて、「いくらかかるのか」「サポーターは何人つくのか」「家族はついていなくていいのか」などの質問が飛んでいた。
このあと西麻布にあったワインバー「ごんた」主催の「T中穣さん追悼・花見の会」に参加しようと、まずヒカリエでいろいろな総菜と果物を買いこみ、タクシーで青山墓地へ。穣さんは、「ごんた」で知り合ったお客さんで、F木啓孝ちゃんと学生運動仲間だったと聞いて、「友達の友達の輪」的に親しくなった。
そうそう「ごんた」は、今は閉鎖しているが、知る人ぞ知るワインの安くて美味いバーというか西洋居酒屋って感じの凄く居心地のいい店だった。根津美術館を右に見ながらゆるい坂を下りきって、二叉路の左角の店。そこの客の穣さんは、奥さんが超有名な元局アナで、彼女の方は、いつの間にか地方の私立大学教授になって、評論活動をしている。その穣さんが亡くなったことを知らなかったので、彼の墓がある青山墓地での「花見」に参加して、追悼させてもらおうと思ったのだ。
場所を細かく聞いていなかったので、ごんたさんことN川正則さんに電話するが繋がらない。参加していそうなN協会時代の仲間T橋宗ちゃん、H本隆に電話するが、「今回は参加していない」との返事。かつて、といっても17,8年前だが、私自身がごんたから1分の西麻布に住んでいたので、青山墓地は朝のウオーキングコースだった。それだけに簡単に見つかると思ったのが運の尽き、ウロウロするも見つからず、大体宴会をやっている人が見えない、北風が強くて寒いのなんのって。
桜はほとんど咲いておらず、気分もしおれがち。しかも馬鹿なことに、この日は若者達と茶話会だったので春の装いで出かけたからたまらない、歯をガチガチ言わせながら紙袋とビニール袋を2つぶら下げて歩き回るうちに、気力も体力も萎えてしまった。この間、ごんたさんの自宅に何度も電話をするが通じず、1時間ほどでギブアップ。「こりゃ風邪ひいたな」と思って坂道を下りきると、見えてきたのが昔懐かしい「かおたんラーメン」の看板。「熱燗、お願いします。ラーメンにもやしと揚げネギトッピングで、それから餃子も」と昼間もラーメン(つけ麺)なのに、また頼む。ここで熱燗を呑んでおいて良かった。帰りは乃木坂から地下鉄で。寒かったぁ〜。