65才 ブログ再開 / 501

 こんにちわ。かつて私の「雑魚亭日乗(ざつぎょてい にちじょう ⇒ ざこていにちじょう と打つとすぐ出ます)を読んでくれた友人、知人、そして私が知らない皆さん!「雑魚亭日乗」を再開することにした。前回の最終回から凡そ3年が経つ。500回まで書き続けたが、余りに訳の分からない(例えば、文房具の話を書くと万年筆やら手帳やらのメーカーのPRと思われる)迷惑メールが大量に届きだし、往生したので止めた。

 気のいい友人がリップサービスなのか「再開しないんですか」と声をかけてくれたが、一度止めると書き方を忘れてしまい、挙げ句の果てに頼りにしていた友人が、いまは音信不通で、このページも閉鎖したままだった。

 今回「パートⅡ」を立ち上げられたのは、若い友人のY俊ちゃんの力に負うところが大きい。彼とは昨年5月、四国のお遍路で知り合ったのだが、帰京後も交流は続いていて、たまに新宿で飲む。孫に近い年齢だが気持ちのさっぱりした好青年で、すっかり仲良くなった。その彼に、たまたまブログを再開したい話をしたら、「パソコンの達人」だけあって、電話で話ながらホイホイホイとやってくれた。

 「再開」というのも、今日午前0時をもって65歳になったからだ。産まれたのは午前4時前、小雪の降る寒い明け方だったらしい。65歳は何かと意味多い年齢だ。65歳がこれまでと大いに違うのは、生活基盤となる定職から離脱する(解放される)。市役所から割引のパスも届いた。介護保険の保険証も送られてきた。だんだん爺さん化していきそうだ。それだけに自分のメディアを確保することは重要だと考えた。3月までは東京都市大学に席はあるが、数件の行事を残すのみ。

 そうそう、2月16日午後4時から横浜キャンパス(田園都市線あざみ野駅から横浜市営地下鉄で1つめ中川駅から東に向かって徒歩7分)の3号館(東京都市大学の校名が壁面に大きく貼り付けられている建物)の2階32A教室で、人生最期の最終講義「記者、教師を通して見てきたジャーナリズムの限界と展望」を1時間ほど話す。下のポスターがそれ。同僚の李洪千さんが創ってくれた。気楽に見に、聞きに来て下さい、冷やかしで。私より100倍有名な後任も見に来る予定だ。

 その後午後6時からすぐ側の市営地下鉄中川駅前の「天狗」でお別れパーティー。まぁ教員は互助会で忘年会費と送別会費を積み立てているけど、外部の人は1000円〜2000円くらいでしょう、「天狗」だから。毎年送別会は、退職者が多いので六本木のフランス料理店やANAホテルなど都心のゴージャスな店が会場だが、私は学生たちとよく来た思い出深い気楽な「天狗」を希望した。今年の退職者は私一人なので、我が儘が言えた。だから外部の人は、好かったら「小俣一平の友人だ」と言ってきて下さい(事前に「参加」する旨を教えてくれると店に人数が伝えられるのでありがたい)。これが終わるとますます時間の余裕が出来る。2月20日以降、時間のある人は声をかけて、新宿でも新橋でも赤羽でも朝から飲めます。

 大学のほうは、2月28日に最期のご奉公で、後期入学試験の監督。3月に入って卒業判定会議、学位授与式(卒業式)、退職辞令交付があるだけで、残すは研究室の大掃除のみ。

 まだ寒いので気楽に放浪の旅とはいかないけれど、春が来たら気ままな暮らしを始めたい。元々気ままに暮らしているけど・・。

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