今年最後の介護授業(1222)

振り返るとこの1週間、日曜日のNチイ、火曜日のW稲田のオンライン授業以外、これといって何かをするわけでもなく、雑務をこなしていくだけで日々が過ぎていった。

住民票を取りに行ったり、壊れた(と思い込んでいた)フードセーバーの修理に「電気の110番救急車」を探したり、たわいもない、でもいつかはやらなければならない事ばかり。

フードセーバーは、私のやり方が拙かっただけで壊れていなかった。以前壊れたと思って廃棄したのも、ひょっとしたら同じ調子で、どこも悪くなかったのかもしれない。そんな無駄の多い人生だった。

<山善のPRではないが、これは便利で魚も肉も鮮度が保てる>

コロナで仕事の関係者以外は友人、知人と会わなくなった1年だった。そりゃ移しちゃ申し訳ないどころか、末代まで祟られそうだから。私のような不埒な人間ですらそうなのに、菅総理って「一体何をやってんだ」とテレビで顔を見るたびに腹が立つ、この温厚な私ですら。結局大企業がドサクサ紛れに税金を食い物にできる仕掛けを悪どく構築してやってのけた、まさに「コロナ利権」ではないか。全ての道は選挙に通じる。観光票、運輸交通票、飲食票・・・。しかしその結果が今の現状だと思うと、この国は何処へ行くのか。

てなことで鬱々とした1週間を送ってきたが、今日はよく笑った。やはり若い人たちと一緒にいるのが好いのかもしれない。日曜日はNチイ横浜校の授業なのは、このブログの読者なら皆知っている。今年最後の授業、しかも年明け10日は「実技試験」、17日は「筆記試験」が続く。そのためこんなん私でも準備をせっせとまではいかないが、「せっ」ぐらいはやっている。夜中にラーメンや蕎麦、お茶漬け、おじやをひとり食べたり、残り物のツマミで深夜飲酒するのもこうした流れからだ。

<鹿児島から勘場のつけ揚げ(さつま揚げ)が届いて大満足>

事前にラインで、こんな私もライン仲間に入れてくれたので、「朝9時半集合。朝練」の招集に喜んで応じた。ところがNチイが入ったビルの下の「喫煙コーナー」で、O村ふみおさんとT田まゆみさんがタバコを吸っているのが目に入った。声をかけると「まだ閉まっていた」と嘆く。「じゃそろそろ開いてるかな」と22階へ。ところがやはり開いておらず、続々みんなが集まったものの、ガッカリ。結局早く来ただけだった。意気込んで来たのに・・・。なんとなく我がクラスらしい。

それでも教室が開くまでの20分間は、Nチイが主宰するグループホームの仕事に入ったK島美登里さんから、就職するまでの経緯を聞く。電話がかかって営業所で説明を受けるとすぐに勤め先が決まったという。「へぇ〜」みなうなづきながら熱心に聞く。あと2回でおしまいとなると、なんだか淋し様な気がするから不思議だ。私の場合、1週間に1回とはいえ、それが生活の軸になって有意義だったし、大人の同期生ができ、それも気が合う人が多かったことがより修学を愉しいものにした。

今日はKさゆり講師。彼女の授業が一番多かった。非常に丁寧で、お世辞でなくNチイの講師陣は皆同様だが、彼女の特徴は経験からくる具体的な事例が魅力だ。

<死にゆく人に関したこころとからだのしくみと終末期介護>が今日のメインテーマで、「終末期とは」「終末期ケアとは」などを中心に、テキストに沿うようにしながらもリアルな経験談を交えた講義に聞き入る。私にとっては10年先、15年先の話だけに、身につまされる所が多い。ここでも講義は全て自分に返ってくる内容なので身が引き締まる思いがする。

午前中はあっという間に終わり、昼休みは今日も弁当。久しぶりの崎陽軒の「チャーハン弁当」が重かったのか、眠り込んでしまった。よく見ると私の次女と同じ歳のM居由紀美さんもよく眠っている。彼女は小学生の息子2人のママ。「冬休みに入って終日(子どもが)家にいるので、疲れ切っているの・・・」とお疲れの様子。「毎日怒ってばかりで全然優しくなれないんですよ〜」には失礼ながら笑っしまった。子どもを持つ親なら誰もが通過する道。

今日の教室はいつも以上に賑やかだった。補講で来たのが21歳の青年、I井フミヤさん。スリムで、背が高い上、韓流ドラマに出てくるようなイケメンだったから、6人の、彼から見ればオバさんたちが、次々と質問を投げかける。それにみんなが笑い、またその都度きちんと応えるので爆笑を誘い、同時に好感度も鰻登り。M浦圭子級長の横に座って、いや座らされて、照れながらも、「これから介護をするなら、こんなこと当たり前よ」と言われても、耐えて?いたのが、また笑いを誘う。

こうして2020年最後の授業は笑いの中で終了した。

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