帰郷 ⑤ 33回忌 910

父は67歳のこの日4月27日に亡くなった。前日まで捻糸工連事件の取材で、テレビに何度か出たばかりだったので、私が突然姿を現したので、度肝を抜かれたらしく、「おぉ一平❗」と一言言って絶句してしまった。死ぬ間際まで、冗談🤭🤭🤭ばかり言う親父で、私以上におしゃべりだった。

下の姉が銀座の『千疋屋』買ってきた最高級のイチゴを何粒か食べ、「道ちゃん( 母の名前 )、明日は大根の味噌汁が好いなぁ。少し疲れたから眠る」と言って穏やかな眠りについた。

深夜母に「水をいっぱい」と所望して、「ゴク、ゴク」と喉を鳴らして飲むと再び眠った。しばらくして寝息が聞こえないのに母が気づき、「あぁお父さん❗」と声をかけた時は、亡くなっていた。その時、「俺もこういう死に方がいいな」と思った。あれから32年経った。

午後2時半に大内にある手打ちの『元禄うどん』で、エビ天、ゴボウ天、丸天( さつま揚げの薄いもの )+ざるうどんをするりと食べて、『Aコーポ』という大きなマーケットで、大量の花を💐🌼🌸とお供え物の果物セット🍎🍇🍊を買ってお寺に行く。

菩提寺の『養徳寺』の庫裏に顔を出して、買ってきた花やお供え物、親父の大好物だった『花園万頭』の「ぬれ甘納豆」、それにお寺の使用料の意味で包んだお礼を渡す。そこへタイミングよくやって来た『千光寺』のH千秋住職に、お布施とお土産の「ぬれ甘納豆」を手渡し、あとは読経をお願いするだけとなった。

午後4時からの法要は、マンツーマン。『養徳寺』には、住職がいない。というか跡継ぎが若くて大分の臨済宗妙心寺派の『万寿寺』に修行に行っていて、未だ資格がないらしい。千秋住職は、同じ妙心寺派の代行になる。「千秋住職」と書くとおどろおどろしいのだが、高校の1年後輩だから、子供の頃から「千秋ちゃん」と呼んでいる。この日ももっぱら「ちゃん」づけで、和やかな法要となった。次は50回忌というから17年後まで生きているかどうか。

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