宮下和夫さんの50日祭 (1469)

4月2日は朝から多忙だった。後で「立ち食いそば放浪記」で触れることになるが、2022年度最初の訪問は、相鉄線横浜駅前の『鈴一』からだった。そこへ昼前に出かけた後、横浜高島屋の『魚久』でお供え用の詰め合わせを買うと、西日暮里の宮下和夫さんの自宅に、お参りに出かけた。

3月30日が49日で、それが済めば葬儀の関係はひと段落したと思ったからで、電話をすると奥さんの百合子さんが「どうぞ、どうぞ宮下も喜びます」と言っておられたので、ちょうどいいタイミングだった。2011年に会社を譲ってもらって、その手続きで書類を受け取りに行って以来の訪問だった。

それ以前にも2〜3度訪ねたことがあるが、よく覚えているのは、2階への階段の両脇にうず高く本が積み上げられていて、地震の時は大変だろうなと思ったことだ。玄関先での立ち話の後、宮下さんが好きだった駅前のタバコが吸える、昔ながらの喫茶店で話しをするのが恒例だった。

それにしても思い込みというのは、私にはよくあることで、遺影を前に百合子さんと話していて、「ウチは49日じゃないのよ。宮下の家も私の実家も神道なの。だから50日祭なのよ」と言われた時だった。あぁそうかぁ。そういう家もあるんだなと笑ってしまった。あとは、こちらが忘れていた昔話に花が咲いた。

『力道山と日本プロレス史」を出したものの今一つ反響が弱くて、そんな時、たまたま遊びに来た私にその話をしたら、「じゃニュースで1本作りましょう」と言って長い企画を作ってれたとか、「伊藤晴雨の『美人乱舞』を出すのに、私も嫌だったところに、小俣さんが、『それは止めといた方がいいんじゃないですかね』と釘を刺してくれたけど、無理に出したりして・・・」と苦笑しながら懐かしく語っておられた。このほか書けない話も色々あって、長い付き合いだったことを改めて感じさせられた2時間だった。

スポンサーリンク

フォローする

スポンサーリンク