4月1日無職記念日(1467)

4月1日は、昨日で早稲田を定年退職した私にとって、組織に属する仕事がなくなった「無職記念日」だ。

最後の仕事は、東京新聞の書評だった。こうした書評は、この10年、毎日新聞、東京新聞、西日本新聞、週刊文春などに10数本書いてきた。書評を書くのに最低3回は下読みし、関連の本を1〜2冊は読む。その上でたった800文字に収める。

今回の『生き直す』を書くのに下読み3回のほか、昔読んだ『冤罪 免田事件』(新風舎文庫)と『完全版  検証・免田事件』を再度、『週刊金曜日』の2020年7月10日、31日号も合わせた読んだ。このほか免田事件ではなく袴田事件に触れた瀬木比呂志さんの『ニッポンの裁判』『絶望の裁判所』『檻の中の裁判官』にも目を通す。もちろん拾い読みが多いのだが、気になりだすと我慢できない性分なのだ。

最後に付箋を貼ったところ、マーカーを塗ったところを読み直す。その上で短い文章にまとめる。基本、貶さないのでいいところをピックアップする。結構骨の折れる仕事だ。

早稲田大学は義理堅い。4月1日になった途端、郵便受けに大きな封筒が入っていて、大学からだった。開くと中から定年退職の通知と謝辞を書いたA4用紙とウオーターマンのボールペンが添えられていた。まだ論文や原稿を書いてくださいという意味なのだろうか。私は素直な性格なので、嬉しかった。

娘と合計で30年、早稲田に通ったことになる。彼女は就職先も内定し、まだ1年残っているが16年の長きにわたる早稲女生活も最終盤を迎える。

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