記者のOB諸兄姉は、もう韓流ドラマ『ピノキオ🤥🤥🤥』を見ただろうか。いま『WOWOW』で毎朝午前7時〜8時15分まで放送中だが、TSUTAYAに行けばビデオも貸し出ししている。
私は、テビ様(大妃様=家人)がテレビを録画してあるのを、偶然見たのがきっかけで、TSUTAYAで借りて来て見始めたのだが、これの第8話あたりから俄然面白くなり、のめり込んでいる。
何が面白いかといって🤣🤣🤣、1982年にタイムスリップしたかの様な、新米記者生活が描かれてるからだ。そこには新人記者の指導役の先輩記者が登場し、とんでもなく厳しい試練を与え続ける。
新米たちは、「ライン」と呼ばれるサツ回りの区域を担当する。日本なら警視庁の「方面回り」のことだが、担当区域の警察署内にあるゴミ溜めのような記者室に放り込まれ、24時間住み込みで取材に駆けずり回る。
そこには、ほとんど、我が愛すべき❓◯HK時代の先輩『◯(まる)ト』を彷彿させる人物が登場するのだ。彼は、数時間おきに「サツ回り報告」を求めてくる。「何もないのか❗️もう一度回ってこい」「年齢は❓職業は❓動機は❓」と矢継ぎ早に新人記者たちに迫る。新人たちは、その確認に夜を徹して走り回る。言動、指示の一つ一つが、『◯ト』なのである。
『◯ト』とは、後に◯HK社会部長になったT樫豊さんのことだ。名付けたのは、私だ。社会部では、「◯ト」と隠語❓あだ名で密かに、そのうち堂々と呼ぶようになった。私は、1日に37回ポケットベルを鳴らされた経験を持つ。それこそ午前1時だろうが3時だろうがお構い無しだ。これがオーバーでなく365日続くのだ。
私は面倒なので、池袋警察署記者室の蚕棚のベッドに泊まり込んで対応していた。これがいかんかった。「サツ回り」が好きだと誤解されたのだ。方面回り半年にして、彼が仕切りをしている警視庁捜査2課4課の下請け役に使われるようになってしまった。
私は文化担当記者になりたくて社会部に来たのに、希望もしていなかった事件記者に仕立てられてしまった。これが私の人生を100%変えてしまった。あのまま事件担当にならなければ、警視庁も検察庁も関係なく遊軍文化担当として、全く違う記者人生を送っていたはずだ。そうすれば、今の「午前2時のトラウマ」の様な日々も、苦しむこともなかった。
だが『◯ト』には、おかしな話だが感謝している。鹿児島時代の特ダネで、いささか天狗👺👺になっていた私の鼻は、見事にへし折られた。『◯ト』ほど緻密な記者はいなかった。サツ回りのハイヤーの中でも、疑問に思ったことは、どんな些細なこともメモして、その日のうちに自分のネタ元(親しい取材先)に裏どりをする。地どり(現場を確認する、周辺の人を取材する)を怠らない。それは修行僧の様に、自らを律している様に映った。「記者になった限りは、かくありたい」と思わせるオーラを発していた。だから私が『◯ト』と呼ぶのは、揶揄もあるが、常に尊敬の気持ちを忘れたことはなかった。そんな彼が、私が知る限り◯HKで最も卑怯な最低の男の謀略に陥れられた時、私たち後輩は、全力をあげて、『◯ト』の支援に回った。本来なら編集主幹、報道局長、役員のコースを歩むと目されていたが、あえなく病に倒れてしまった。
かつて記者を経験したことがある友人諸兄姉には、ぜひ『ピノキオ🤥🤥🤥』を見て欲しい。見れば、誰もが「俺も、私もそうだった‼️」と厳しくも楽しかった昔を思い出すはずだ。