人の出会いというのは、不思議なものだ。意気に感じるというのか、会った瞬間に相通じる奴がいるもんだ。
臭い寿司屋を飛び出したものの、さてどこに行ったらいいか。やっぱり私の定番、ホッピー通り一番奥の『正ちゃん』に顔を出す。ご主人の正ちゃんは健在で、おん自ら注文を受けていた。
向かいの席は、チョンマゲを結った若いお兄さんだ。「前を失礼します」と仁義を切ると、「もうそろそろ仕事に行かなくっちゃなりませんから」と言うので、よく見ると車夫の格好をしている。思わず「へぇ〜人力車引いてるの❓」「そうなんですよ。いまここで昼メシを食べたところなんです」とニッコリ。
彼の笑顔が好かつた。「こんな暑く😵☀️💦ても、お客さんは乗るの❓」「やはり外国人の客が多いんかねー❓」とついつい記者魂が質問を浴びせてしまう。お兄さんは、嫌な顔一つせず、人力車の会社が新たに参入してきて競争が激しいとか、 外国人は意外と財布👛👛の紐が硬いとか、思いがけない話を聞かせてくれた。
さらに驚いたことに、聞きもしないのに、いきなり自分の経歴の話しをし始めた。前の勤め先で、そんなことで嫌な思いをしたという。聞きながら、ついつい” おじさん” してしまう。
「私は、元放送記者で、職人の世界という点では、人力車夫と同じだ。どこの世界でもそうだけど、特に我々職人の世界が良いのは、腕、実力だけで評価されるところだよ。だからいい歳して、まだそんなことを話題にする連中は、いまの自分に自慢出来るものが無いからだと思って、気にする必要はない、考えても何もプラスにはならないから、無視❗️無視❗️今を大切に生きることや‼️」
私自身、記者になって良かったのは、余計なことを気にすることも、意識することもなくてすんだことだろう。彼も” 職人の世界 ” に徹すればいいのだ。
彼の人生を聞かせてもらったせいか、一気に親しみを感じる様になった。「一度会ったら友だちで、何度も会ったら兄弟だ」が持論の私は、彼とすぐ仲良しになった。第一、彼は今どき珍しいほど父親世代の大人と会話が続くことだ。お世辞でなく、頭が良いヤツだと見た。
浅草人力車『松風』所属 車夫 F田健人、31歳。浅草で人力車に乗るときは、是非彼を指名してね。
彼が仕事に戻った後は、新たに横に来た中年のお嬢さんとたわいもない話しをしながら、さらに飲む。彼女は、「ホッピー通りは、途中の店では飲んだことがあったけど、正ちゃんは初めて」という。
「そう、奥まで来ればホッピー通りを極められるんよね。コロンブスは、途中までだったけど、アメリゴ•ヴェスプッチは、その奥まで来たから、『アメリカ大陸』と名を残せたんよね。(ホントかな❓)だからお嬢さんは偉大な発見ができたんよ」なんて戯言を言いながらまた一杯。結局ビール🍺1杯、ハイボール5杯で引き上げた。
噂の寿司屋がダメだったのが気になっていて、駅に向かう途中にあった『まぐろ人』という立ち食いの寿司屋に入った。全て1貫ずつ出してくれるとあって、「シャリ小」で片っ端から食べる。好い店だ❣️陽も落ちたので、京急の快速で横浜に出たが、きしめんの『鈴一』には、寄らなかった。