幼稚園から高校まで、ずっと親友だった吉崎雄一が死んで3年になる。奥さんの栄子さんが、明日サントリーホールで開催されるコンサートのため上京したので、故人を偲びながら大分料理の『とど』で飲んだ。
仙台で生まれ育った彼女は、大分のことをほとんど知らないようなので、「リュウキュウ」「関アジ」「関サバ」「太刀魚の塩焼き」「豊後揚げ」と”大分づくし”にした。酒は『知恵美人』、焼酎は『すず』とこれまた大分。定番の梅干しとラッキョウは違ったけど。
今回は吉崎の仙台での生活を、事細かに聞くことができた。T北大学を中退して労働運動に力を注いでいたのは、彼が全国一般の大会とかで上京した際に聞いた。栄子さんとの馴れ初めが、彼女の会社の争議の指導がキッカケというのは初耳で「へぇ〜」「ほ〜」を繰り返すばかり。
晩年の湯布院への夫婦ふたり旅の写真を見せてもらいながら話は弾む。娘さんたちもすっかり成長して、さあこれからという時だっただけに64歳の死は早すぎる。
18歳で大分を離れてから、ほとんど帰郷することもなく、私も東京で会ったのは、数える程だったから、よく “親友” だとは言うものの、高校までなのだと、栄子さんの話を聞きながら思った。それでも子どもの頃からの友達は、得難いもので、どこかで心が通い合っていたような気がしている。