赴任当日は、ただただ放送部のソファー周辺で、続々戻ってくる記者やカメラマンたちの様子を黙って眺めていた。午前0時の最終ニュースがすんだら、福岡から応援で来ていたY本為三デスクが、「晩飯を食う暇が無かっただろうから夜食を頼むんで、食べる奴は手をあげてくれ」と周囲を見回した。このことは、すでにこのブログで以前書いたと思う。
この時、私も何も食べていなかったので手をあげた。「おっ⁉️」と見かけぬ顔だなという表情をされたので、「今日着任した記者の小俣一平です」とすかさず応えた。この時注文したのが『うな鐵』で、安くて美味い😋😋店だった。鹿児島は鰻と言えば、当時は『末吉』だったが、きっと出前をしてくれていたからNHKは利用していたのだろう。今はないようだ。
この鰻を食べたことで、「明日捜索開始から宇宿の現場に行ってくれ」とデスクに言われた。「捜索開始❓」誰に訊けばいいのか。そばにいたK児島大学学生でバイト頭のN村さんに、「宇宿ってどう行けばいいの❓」と尋ねると、「ああ、第一交通を裏の通用口に呼んでおきます。午前4時だったら大丈夫です。チケットを数枚切っておきます」とテキパキしている。「あっ🤭🤭こいつ俺より出来る‼️」とタジタジになった。これから3年後、彼はNHKのカメラマンとして採用され、東京や北京などで活躍した。
<1976年当時の写真が無くてネットからの引用です>