やっと「武蔵野うどん」デビュー(1889)

火曜日は午前中はオンライン授業があり、午後から天気がいいのでまた散歩に出かけた。「なるべく歩こう」と介護の学校に行き始めてからは意識するようになった。糖尿病なので食事をしてから歩いたほうがいいと主治医の言葉通り、先に『武蔵野うどん あっとん』に立ち寄った。客と入れ替わりに入ると既に一人先客がいた。

<老眼のせいか、キャパ並に❓ちょっとピンボケ>

壁を見ると「肉汁」と「キノコ汁」それの「ミックス」があるので迷わず「ミックス」を注文する。正面の壁には「ゆで時間10分」とある。「おー結構時間がかかるんですね、茹でるのに」と女主人に話しかけると「どうしても麺が太いもんで・・・お茶がありますからセルフですが飲んで待ってください」というから立ち上がったら、先客のお兄さんが自分の後ろのテーブルにあるポットをとって、コップに冷たいお茶を注いでくれる。「あぁすみませんね」と言ったら、店主も「ありがとうございます」というからどうやら常連客らしい。恐縮至極。

待っている間に「武蔵野うどんとは何ぞや」を教えてくれたM森直昭さんのメールや椎名誠さんの『すすれ!麺の甲子園』に出ていた内容を思い出す。

<東村山市野口町の『小島屋』で、そのたりは近頃人気の武蔵野うどう集中群生地帯という。(中略)にわかには信じがたい。何しろほんの八年前までぼくは東村山市の隣にある小平市に住んでいたのだ>(『すすれ!面の甲子園』)

とあるように、この本が出た12年前には椎名さんも知らなかった。私は警視庁を担当していた頃、この野口町に取材先があって、毎晩のように夜回りに出かけていたし、当時近くの(埼玉県)新座市に住んでいたから、あれば気づいたはずだ。

店主の言うとり太いめんで、餅のようにもっちりしていて喰いごたえがある。少し甘辛の汁に浸すのだが、「ワサビをつけると美味しいですよ」とカウンターの中から声がする。さらに「花山椒もいいですよ」と追加のお薦め。郷に入っては郷に従え主義なので、言われるままにする。確かに元々の汁の甘辛さに、山葵や山椒独特の風味がマッチして、これはこれで美味い。大盛りにすればよかったかな?と少し後悔したが、食べ終わったときは、「これで十分」と納得した。やはり大盛りがスルスル入るのは50代までだろう。汁が残ったらポットに入った湯を入れて薄めるとこれまた飲みやすいスープになる。かくして完食。

彼女が「横浜なのに武蔵野って変でしょう」というから、「横浜市の一部も武蔵国だそうですよ、私も最近知ったんですけど」とGoogle先生に習ったことを伝えると、「えっそうなんですか、良かった」というから正直な人な。わざわざ店まで行った価値があるのは、これだけ太い、しかもモチモチした麺は自宅では無理だ。後輩にもらった「館林うどん」も美味いが、家で作ったのでは、こうはいかない。

大満足だったので大きなお腹を撫でながら、東神奈川駅に向かって歩き始めた。途中「六角橋の由来」の碑を眺めたり、どれくらいこちら方面にラーメン屋があるかをウォッチしながら進む。先般書いた「ラーメン六角屋」の跡あたり⁉️には、『とらきち家』という「家系ラーメン屋」が営業していた。

午後1時40分に家を出て、白楽の『武蔵野うどん あっとん』(この「あっとん」という名前には意味はないと。みんなが「おやっ?」という名前にしただけとのこと)に寄って20分ほど時間をかけた後はひたすら歩く。東白楽、東神奈川、国道1号線に出て東京方面に向かって進み、浦島小学校のそばを通り、白幡南、東町、仲町をへて家に帰り着いた時は、ちょうど2時間経っていた。

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