邂逅(1179)

N協会で同期のO田茂一君から、銀座3丁目で個展を開くと案内状をもらった。最終日が昨日(10月20日)だったので、わざわざ観に行った。会場には、何とN協会鹿児島局時代の後輩H山経彦君が来ていて、3人で小一時間ほど昔話やら近況やらを語りあった。2人は超寡黙な人なので私ばかり喋っていた。O田君が、「小俣で忘れられないのは、(入社試験の)最終面接の時、靴下が左右違うのを履いて来ていて、誰かに『貸してくれんかなぁ〜』と頼んでいた」というのには笑った🤣🤣🤣。その通りで、あの時片方が黒色で、もう片方が明るいブルーだったのに気付かなかった。のちに一緒に警視庁担当となったM上格ちゃんが履いていた靴下を脱いで貸してくれた。全く知らない、学校も違う、会場で初めて会ったのに不思議な縁で、格ちゃんとは同期の中ではいまだに付き合いがある仲のいい1人だ。

<この作品が私のお気に入り>

O田君はN協会を早めに辞めた後、A知淑徳大学教授として映像論などを教えていて、今年定年退職した。皆それぞれ色んなところ活躍していたのだと改めて思う。H山君は、鹿児島出身で、LサールーーT大ーN協会の中でも重要なポジションばかり歩んでいた。司馬遼太郎さんの『街道をゆく』の名プロデューサーだった。経歴だけでなく人柄がこれまた秀逸だったので、てっきりN協会の理事をやったものだとばかり思っていたが違うと聞いてビックリした‼️ 

まぁそんなことは大したことではない。外部の人間にとっては全く興味の無い世界だし、内部の人間でも家族や極極周辺にいた者以外は、本人が思い込んでいるほど他は関心がないもので、ものの3年もしないうち忘れてしまうのが普通だ。

それにしても素敵な書と写真だった。こういう特技があると老後も楽しいだろうと思う。O田君は現役入局だから私より2歳下なので65か66歳だろう。今は広島に生活の拠点があるといい、わざわざ東京まで出て来ての個展と聞き、なおさら訪ねて良かった。

ビルから出ると目の前が、『よもだそば』だったから、普段ならカレーと天ぷら蕎麦でも食べるところだが、次は荒木町の『万作』なので我慢した。丸の内線銀座駅に行く途中、有名な宝くじ売り場の前を通ったら、珍しく行列が少ない。よく見ると「ハロイン宝くじ」の発売締め切りとあった。それなのに何んで⁉️ 並ばなくてすむなら・・・と思ったら、1 番売り場だけは少ないながら行列ができて来て、3番、5番は1人も並んでいない。どうやら験担ぎらしい。せっかくなのでこれも何かの縁と、バラと連番を10枚ずつ買った。中島みゆきさんの歌じゃないけど、期待しないけど期待するよね。

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