『あらきそば』又三さん逝く(1228)

年賀状と一緒に芦野又三さんの訃報が届いた。

又三さんにお会いしたのは、もう20年近く前のことだ。おそらく私のルポルタージュの師匠である 故 内藤厚(筆名・里見真三・文藝春秋)さんの葬儀の時にお会いしたような気がする。内藤さんが亡くなったあとの2003年11月に親子3人で、飛行機に乗って「あらきそば」を食べに行った。山形県村山市にある昔風の家屋が特徴の「あらきそば」は、「毛利(もり)」と呼ばれる自家製地粉をこねて茹でた田舎風の固くて太い蕎麦を板の上に乗せて出す。

これしかないので、当時3歳の娘は2口、3口しか食べられず、又三さんの奥さんが気の毒がって、大量の漬物とお菓子を出してくれた。その後山形に行く機会がなく、いまや「1に蕎麦、2に蕎麦、3に蕎麦、最期の食事はもちろん蕎麦」というほど蕎麦好きになった末娘と「山形の又三さんのお蕎麦を食べに行こう」と何度も話していたのに、叶わぬ愉しみとなってしまった。       ご冥福をお祈りします。

<そうそう、ワサビとかないんだ>

店のすぐ近くにある駐車場には、「品川」「横浜」「千葉」ナンバーの車が乗り付けられていて、「はるばるここまで蕎麦を食べに来るのか」と自分たちのことは棚に上げて驚いた。

「あらきそば」に似た蕎麦は、都内ではどこだろう?西荻窪『鞍馬』の「甘皮そば」だろうか?NHK西口にある『おくむら』の「田舎せいろ」だろうか? ちょっと違うな。

「毛利」を食べたとき、初めて「蕎麦を噛む」という経験をした。噛んでいるとだんだん蕎麦の味がしてくる。「あぁ昔の蕎麦はこうだったんだろうな」と勝手に納得しながら味わった。これがなかなか惹かれる美味さなんだな。それに恐縮するほど大皿に山盛りの絶品の漬物。あれももう一度食べたい。 

           コロナが終息したら山形の鶴岡市にある『藤沢周平記念館』に行きたいので、足を伸ばして「あらきそば」にもぜひ訪れたい。新年早々、これを今年の楽しみにしている。

<写真はいずれもSNSからの引用>

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