家人が機嫌がいい朝は、何か頼み事がある時だ。きょう(3日)は、佐川急便の指定配達が正午から午後2時の間というので、その時間待っていて欲しいという案件とコンサートのチケットを入手して欲しいというお願いだった。やっぱり。でも断る理由もないので快諾。お互に気分がいい。今朝は、赤魚の粕漬け、ワカメともやしの味噌汁(そうもやし好きなので何にでも入れてもらう)、紅生姜爆弾、瓶詰めのウニ、海藻のアカモクの酢の物、いつもの錦松梅。メシが進むが1膳で我慢する。
朝から採点を始める。いつものことだが、私の身に何かあってはいけないので、採点はスピーディーにやるのを、この15年自分に課している。以前は290人以上あったことに比べると楽と言えば楽になったもんだ。午後1時40分に佐川急便が来たので、ここまでで採点を打ち切る。ずっと椅子に座っているのも疲れることは疲れるから。
外はいい天気。午後2時前に散歩に出る。今日は久しぶりに大口方面。横浜市の東側に位置する下町で住みやすそうだ。雑然とした街並みで路地も多く、用がないのでそのくねくねした道を歩き回るのも楽しい。とにかく東横線や横浜線を挟んで山あり、谷ありで、結構坂道が続く。途中よくこんな崖っぷちに家が建ったなぁとおもう傾斜地にも立派な家屋がある。
しばらく歩くと紅梅が目に入る。節分、立春とこの暖かさ、すっかり春だ。坂を降り切ると平地がずーと続き、気がつくともう大口の商店街だ。この中にさつま揚げの抜群に美味い『能登屋』の本店と支店がある。帰りに寄ることにして、以前ちょくちょく通った『ペンギンカメラ』を目指す。途中からだんだんトイレに行きたくなった。たしか七島の先に公衆トイレがあったような怪しい記憶。
行けども行けどもない。『ペンギンカメラ』をすぎ、『ラッキーカメラ』の前を通り、お寺の中を覗くがここにも無い。もう少し我慢できる、最後は食堂か喫茶店に入ろうと思うが、結構閉まっている。これ以上は無理と横浜線の高架の下でUターン。まだ大丈夫と自分に言い聞かせ、トコトコ歩いていると『能登屋』の支店。うーん、悩んだが入る。「カレー味の玉ねぎはありますか?」「この1個だけなんですよ、本店に寄られたら?」と親切。またまたトコトコ歩いて50メートルほど離れた本店へ。ここで大きな四角い野菜さつま揚げと玉ねぎを求める。
<いつも書くけれど、大磯や鎌倉の井上蒲鉾と比肩する美味さ>
もうここまで来たらJR大口駅が指呼の距離だ。こんな時に限って信号機が赤、その先も赤。いくら急いでいるとはいえ、信号無視じゃなぁ〜。駅の改札口に駅員さんがいない。大きな声で「駅員さーん、お願いします」と3〜4度呼びかけると奥から出てきて、「どうぞ、帰りにまた声をかけてください」優しい。多目的トイレが空いていた、セーフ。まるでかつてレポートした『トイレ探検隊がゆく!』を思い出す。あのとき一緒に回った文春のソフィーや也一ちゃん、カメラウーマンのN井菜央さん、いまだに仲が良い M森直昭隊員、28号大阪のT見佳子隊員たちのことを思い出した。臭くてごめん。「あれは週刊文春最後の贅沢取材旅行ではないだろうか」とも。「いまじゃあんな企画通してもらえないだろう」とも。S谷学編集長(当時)ありがとう。M井・K俣時代最期の企画だった。
<使わせていただいてこんなことを書くのは恐縮ですが、トイレットペーパーの位置が悪い>
帰りは足もお尻も軽い、軽い。とんでもない坂道を登るのも苦にならない。家のすぐそばの『セブンイレブン』を覗いたが、さすがに恵方巻きは売っていなかった。1週間ぐらい売ればいいのに。仕方がないので五目いなりとアメリカンドッグを買った。このミスマッチ。行く前に風呂を沸かしておいたのは正解だった。このところ入浴剤はバブばかり。次回は温泉巡りにしよう。この日の歩数は、10109歩、69歳初日の昨日が8928歩。まずは重畳。