元特捜検事 永野義一さんの一周忌 ② (1359)

永野さんのことを思い出すと、ついついそれに派生したことまで、次々と頭をよぎる。1997年、鹿児島地検の検事正をしていた頃、「遊びに来いよ」と電話をもらったので、出かけたことがある。その時2人の飲み会に、せっかくだから鹿児島局の記者たちと会わせようと声をかけた。その時、なぜか全国紙の支局の女性記者も参加した。つまり呉越同舟となったのだが、みんな新人だったことや、普段会えない検事正と飲めるとあって大いに喜び、飲み会は大盛況となった。

その時どんな経緯か、いま鹿児島でやっている事件にはどんなのがあるのか❓ 私には地方の話なのでそれほど興味はなかったけれど、取材とはこうするのだよと見せたかったのだろう、話しているうちにダンダン佳境に入ってきて、それは立件された。NHKとその全国紙だけが前打ち出来たような記憶が微かにある。そんな重要な話をしていくれたのは、きっと永野さんの好意、というか後輩たちを前に私に良い顔をさせてやろうという心配(こころくば)りだとすぐ分かった。

 <厳しくもあり、優しくもあり、愉快なところもあった吉永祐介さん SNSから>

永野さんとは、吉永祐介さん(後に検事総長)の紹介、というか飲んでいる席に呼んでくれたのがきっかけだった。吉永さんの信奉者で、まだ吉永さんが特捜検事の頃、会計帳簿を読み解く勉強会をしている時の、いわば教え子だったから仲が良かった。吉永さんが左遷されたり、どんな目に遭おうとも、最後の最後までついて行くという、地位で付き合うようなことは全くなくて、ひたすら信頼関係で結びついている所が、そばで見ていてよく分かった。

こういう先輩、後輩、上司と部下の関係は好いなぁといつも思っていた。私とI 手上伸一司法キャップ(後に報道局長)との関係も、かくありたいとずっと思ってきた。

<若くして亡くなられた北島敬介元検事総長 SNSから>

永野さんが楽しそうに話すエピソードの中に、若くして亡くなった北島敬介さんのことがある。北島さんとは都立上野高校の同級生で、北島さんはスイスイと東大法学部から司法試験、検事任官、東京地検の検事正などを歴任して、のちに検事総長になった。夜回りに行くと、本題の話はせずに永井荷風の『断腸亭日乗』の中の一節を語るような、いわば記者をケムに巻くのが得意な検事だった。私はけっこう好きだった。

その北島さんのことを、「あっちはエリート、こっちは遅れてきた検事だからなぁ〜」というのが、全く嫌味でなくて、むしろ楽しんでいる風があって可笑しかった。確か永野さんが任官したのは、34歳のことで、つまり司法試験に通ったのは31歳。北島さんより遅れること9年だった。それを面白おかしく話題にするところも好きだった。

<弁護士事務所開設のお祝いに駆けつけた時>

永野さんが退職して弁護士になった時は、各社の記者たちがお祝いに駆けつけて、かなり広い事務所がいっぱいになった。とにかく愉快で、検事時代、おそらく副部長だったと思うが、民放のテレビに出たとき、薄っすらした記憶しかないが、官舎でゴキブリを追い回している姿が映ったような気がする。そういうのを「構わん、構わん。単身赴任の特捜検事の日常では、こういうこともある」と言いたかったのだと思う。こんな話を書き出したら、私以上に色々知っている人が、こんなことも、あんなこともと言ってきそうだ。

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