元特捜検事 永野義一さんの一周忌 ①(1358)

今日7月29日は、元特捜検事、特捜副部長、鹿児島地検検事正だった永野義一さんが亡くなって1年になる。84歳だった。

永野さんはNHKに限らず、各紙、いや民放までも、熱心な記者なら区別せず、足繁く夜回りや朝駆けに来ればキチンと対応してくれるので、おおっぴらに出来ないものの、愛される検事だった。コロナでなければ、もちろん葬儀にも、今日の一周忌にも馳せ参じる記者やOBは少なくなかっただろう。3回忌までには、「偲ぶ会」をやりたいものだ。

永野さんが愛された理由は、その日の気分で、機嫌、不機嫌が露骨な人が多い特捜検事の中で、I 十嵐紀男さん、T 野利雄さんと並んで3大善人、優しい検事だった。どんなに疲れていても誠実に対応してくれる数少ない検事でもあった。権威を笠に着ない、ひょうきんな、まるで友だちみたいな所があって、単身赴任だったので官舎を訪れると夜中でも家にあげて、「何にもないなぁ〜」と言いながらスルメやピーナツ、煎餅をツマミに酒を飲ませてくれた。この「何にもないなぁ〜」が、事件の動きに関してなのか、本当にツマミがないのか。そこで盃、いやグラスを重ねる中で聞き出していこうというのが、私、いや他社の記者たちも同じだったのだろう。

単身赴任の永野さんも月に何度か平塚の自宅に帰っていた。それを嗅ぎつけてNHKの司法記者たち、ひょっとしたら永野さんに食い込んでいた東京新聞のO場司記者もいたかもしれない、都内で飲んでいて、「これからおれのウチで飲みなおそう」と誘われたのをいいことにゾロゾロ平塚まで出かけたことがある。個別に平塚まで取材に行ったこともあるから、壁という壁が本だらけのお宅には、何度かお邪魔している。普段はもっぱら官舎だったが。

忘れられないのは、美人の奥さんにそっくりで、かつそれを上回る美形のお嬢さんがいて、奥さんが笑ってしまうくらい警戒していたことだ。今はNHKで専務理事をしている、背が高くてハンサムな記者もいたので、「手を出さないで下さいね」と言葉にはしないが、暗にダメ出ししているように思えて面白かった。

私は首都圏の国立大学附属病院の事件を取材していて、概要や着手日をキャッチしたので、当て(確認)に行ったらXデーが分かった。前打ち(事前に報道)すると特捜部や下手をすると毎日の次席会見への出入りが禁止されて、身動きが取れなくなるので、中々勝負がしにくい。それではつまらないし、何社かは気づいているだろうと、当時水曜だったか、木曜日だったか『週刊文春』の発売日と着手日が同じだったので、この事件を「THIS  WEEK」で“前打ち”した。特集などで取り上げると目立つし、発売日前日に印刷所から主な記事が漏れてしまうので、あえて避けた。

もちろん放送用の予定原稿は出していたので、後は着手を確認すればいいのだが、それでは発表になってしまう可能性があるので面白くない。それならと週刊誌で特ダネとして報じてみた。今だから書ける話だが、特ダネというのは各社間の競争に過ぎず、読者、視聴者にとってはどれが特ダネなのか、中々分かり辛い所がある。この際「週刊文春」で、とあいなった。当時の編集部員だったM井清人さん(後に社長)とK俣正剛さん(後に常務)と盟友だったので、私の提案を受けて入れてくれた。

着手日、つまり発売日、いや逆かな⁉️はチョットした騒ぎになった。というのも着手後に記事に気づいたのか、それとも着手前には知っていたかもしれないが、永野さんは捜査を強行してくれた。永野さんは、あの記事を書いたのが私だろうと「推測していた」と、鹿児島の検事正になった後、飲んでいて話してくれた。もちろん私は「そんなぁ〜」と否定とも肯定とも取れぬ返答をした。私は、永野さんなら急遽中断することはないだろうと踏んでいた。口に出して話したわけでも、確認したわけでもなく、まさに阿吽の呼吸だった。

これは何度も書いたかもしれないが、私は特ダネが書ければ、その媒体(メディア)はどこでも構わないという可笑しな発想があって、別にNHKにはこだわらなかった。もちろん大きな勝負ネタは、朝、昼、夜のNHKニュースで決めるというのは当然だが、後を引かない、捜査の先に政治家が出てこないのなら、面白ければよかった。

それにM井さんとK俣さんが喜んでくれることは、もう一つの楽しみでもあった。不思議な友情だな。もちろん私はのちに月刊誌で長いルポを書いた時は、原稿料をもらったが、こんな情報の類では一切謝礼を受けたことはない。それをすると私流の記者の仁義に反すると思っていた。その代わり2人は多くの作家や文化人、芸術家たちを紹介してくれたし、パーティーにも率先して連れていってくれた。「文化記者」になりたかった私には、それが最高の喜びだった。

<金丸信 元自民党副総裁 SNSより>

NHKネタで言えば、双方亡くなっているので書いても構わないが、その一つに金丸信元自民党副総裁の初公判の冒頭陳述書のコピーを前夜もらってきたことがある。別に公判のことだが、それは各社テントを張って中継する一大ニュースにもなったので、事前に内容が分かっていた方が準備は完璧にできるし、朝の「今日初公判」の記事にも確信を持って、”見通し”を書くことができる。

一番嬉しかったのは、裁判担当で後輩ながら私が尊敬しているY辰哉記者が、「凄いなぁ、こんなことありうるんですね」と大いに驚き、喜んでくれたことだ。これは新聞とテレビの違いで、リアルタイムで中継するテレビでは、事前に知っているのと、法廷から記者が飛び出してきて、もちろん演出上はやるのだが、大きな表やテント村からの解説はだんぜん他社と違うもにのになったことは言うまでもない。あと色々あるのだが、まだ健在な人がいるので差し控ええる。

スポンサーリンク

フォローする

スポンサーリンク