▼昨日は授業の前に小腹がすいたので、O隈講堂のすぐ裏にある「寿司🍣🍣🍣源」で、握りを食っただけだ。特に鯖とイクラが、抜群に美味くて繰り返し注文した。どんなに脚が痛くても食い意地だけは はっている。結局これが晩飯となってしまった。
▼帰ってからは、ずーと寝たきり老人をやっていたが、いつものように午前2時前に目が覚めた。立ち上がるとまだ痛いのなんの。でも腹が減っている。深夜の炭水化物は避けた方がいいので、魚久🐟🐟の銀ダラと鮭を焼いて、筋子と千枚漬けをツマミにハイボールを3、4杯のんだ。いやもっとか。
▼次に眼が覚めると午前9時過ぎ。朝風呂に入る。長く入っていると頭から汗が吹き出る。Tシャツと半ズボンでパソコンに向かうが、汗が止まらない。午後2時過ぎになるとさすがに腹が減る。脚が痛くて外に出る気もしないので、冷蔵庫の残り物でちゃんぽんを作る。野菜はキャベツ少々と人参🥕、タマネギぐらいしかないので、キュウリ🥒も入れる。あとは、ベーコン、蒲鉾、冷凍エビ🦐🦐🦐を炒める。その間も脚が痛くて丸椅子に座りながら調理する。
▼気がつくと午後3時過ぎから1時間半ほど眠っていた。寝てばかりなのに、脚の痛みは改善しない。来週の手術に希望をつなぐ。でも『希望』と言うのは・・・イヤイヤそんな事はない。
▼午後6時10分、強烈な痛みを噛み締めて、みなとみらい駅に出かける。今夜は親友故山ヒデ、こと山田英幾の父、一雄さんが作曲した作品を、長女の英津子ちゃんが歌う『山田一雄リバイバル』コンサートが、小ホールで開かれる。
▼午後7時開演前で400余ある席は、ほぼいっぱい。山田さんのオヤジは、朝比奈隆さん、外山雄三さんと並ぶ日本を代表する指揮者であり、藝大教授、NHK交響楽団指揮者などを務めた音楽界の大物だった。生前2回会っただけだが、山ヒデがオヤジさんソックリなのが可笑しかった。
▼そんな事や山ヒデとの鹿児島や東京での交流、亡くなるまでの2ヶ月ほぼ毎日通った病院でのことなどを思い出しながら合唱を聴いた。英津子ちゃんに会ったのは、彼の結婚式の時だから、まだ大学生ぐらいだったが、立派な声楽家になっていた。山ヒデが生きていたら、どんなに喜んだことだろう。
▼生まれて初めてのプロの合唱団の演奏会だった。合唱と言えば、NHKの中学•高校合唱コンクールぐらいしか知らない。ところがこうして聴いてみると、しみじみとした響きが楽器を奏でるように耳に届く。
▼日唱の混声合唱団のセンター❓の女性が優雅で麗しく、19列目から見ていても(いや遠くから見ているせいか❓)彼女にだけ光が当たっているように見える。耳と目の、好い供養、じゃない保養になった。ドンファンだった山ヒデもきっと同じことを言うだろう。