恩師の死 ⑥ / 528

 小島晋治先生の葬儀の精進落とし、お齋のときのことだ。「A日新聞のK原(?)さんの提案で、東日本大震災の犠牲者に、黙祷を捧げたいと思いますが如何でしょうか」とさっき献杯の音頭を取った教え子で、元T海大学教授のS山文彦先生が、皆に声をかけた。もちろん異議ナシ!! 午後2時46分、全員が頭を垂れた。こういうところが小島先生の葬儀らしいところだ。

  小島先生に初めて会ったのは、1973年6月18日のことだ。いや会ったというのは正確ではない。講義を一方的に受けただけのことだ。当時のノートに<太平天国改革>として<てん足の廃止・売春、アヘンの禁止、太陽暦(改暦)、貨幣鋳造と流通(信用される)、文字改革(反儒教的)、文体の変革>という文字が並んでいる。この日が、初めてノートをとった日付けになっているのには理由がある。

 前回の続きになるが、増井経夫先生に小島晋治先生の名前を伺い、新学期になると桜台から池袋—品川経由で京急に乗り換え、金沢八景にある横浜市立大学に出かけて行った。ところが大学の話では、先生はすでに東京大学に移籍したというではないか。「えぇ〜」と落胆しながらトボトボと駅まで5〜6分の道のりを帰った。「東京大学」という名前に、これまでの勢いを削がれてしまった。というのも知り合いは姉の同級生の2人の先輩しか思い当たらない。一人は医学部、もう一人は法学部だ。いずれも子どもの頃、我が家の庭や原っぱで遊んだ仲だが、10年以上付き合いがないし、姉に頼むのは嫌だった。

  どうやって調べれば良いかな・・・としばらく考えあぐねていた。そのときふと高校の後輩で、東大受験のときに私の部屋を提供したM山紀子ちゃんを思いだした。さっそく豪徳寺に住んでいた彼女に手紙を出した。しばらくすると6月初め、彼女が文科と理科の講義一覧から、小島先生の授業の時間割りを見つけてきてくれた。そこには、月曜日と金曜日に同じ「東洋史概論—小島晋治」の文字があった。

  初めて行く東大は、本郷ではなく教養課程の駒場である。多くの人がご存じの通り、東大は文科1類、2類、3類、理科1類、2類、3類に分かれて受験、入学し、2年間の教養課程を経て専門のある本郷に進む(詳しくは知らないが、教養学部は4年間、駒場なのかも知れない)。25年後にすぐ側の社宅に住む(家族だけだが)ことになるのだが、何だかとても高揚していた。守衛さんに偽学生と見破られているような気がして、門を入ったあとも落ち着かなかった。

 教室はM山さんに教えて貰っていたので、大体分かっていた。門を入って、左側の方向にぐんぐん進んでいき、かなり大きな教室だった。十分余裕を持っていったので、正面一番前の席に座ることが出来た。ここが、それからずっと私の席になる。

   毎日新聞2011年11月20日(日)書評欄「今週の本棚」<この人・この3冊>より

 テキストは先生が書かれた『教養人の東洋史 下巻』(社会思想社)だった。これは東大生協で買い求めた。生協は代々木(日本共産党)が仕切っているので嫌だったが、手っ取り早いのと早く読みたかったので、甘んじて購入した。

  ノートを読み返すと1年生の教養の授業なのに、6月26日には「近代思惟の挫折」と題して、顧炎武や黄宗羲、王夫之など明末期から説き起こしているのが分かる。私はなぜか授業の最後に質問している。「馮道について、『アジア歴史事典』では『ひょうどう』と記され、『歴史と人物』では『ふうどう』と読みが異なる。それは太平天国下の上海に高杉晋作らが出かけたときに乗船した『ちとせまる』と『せんざいまる』と読み方が異なるように、なぜ変わるのか。出典によってルビ表記があるのか」といったたわいもないことで、表層をなぜて得意がっているだけのことだ。

  後期の授業が始まってすぐの10月1日のことだ。講義を終えた直後の先生から声がかかった。「君、時間ありますか?よかったら研究室に来て貰えませんか」「あぁ万事休す。偽学生がバレたな・・・」と思いながら、先生の少し後ろを歩きながら、周囲は、こんもり樹木が生い茂った緑深い場所で、かつて暮らした東京外語大の日進寮のような古い建物には入っていった。そこは外気が遮断されていて、一歩入るとヒンヤリした。建物は全て木造で、錠前を開けて研究室に入ると、もう両側が本棚で、天井まで本、本、本だった。

  椅子を勧められるとすぐに、「トワイニングで良いですか?」と訊ねられた。「トワイニング???」「えっええ・・・」電気ポットが沸騰すると、オレンジ色の四角い缶からスプーンで茶葉を取り出したので、「あぁ〜紅茶か」と気づいた。大分では三井農林の日東紅茶かリプトンくらいしか知らなかった。紅茶というのは、実にハイカラだと思えた。と同時に瞬間、外語の寮でリプトンのテーバックを使い切ったモノを洗濯紐にぶら下げて再利用する寮生がいたことが頭をよぎった。角砂糖を貰い、ひとくちお茶を呑んでいると、先生はようやく口を開いた。

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