江藤淳大先生の『夜の紅茶』を思い出したついでに、郷里杵築のスーパー才媛 紀子ちゃんと旦那さんA南康児さんが作る『きつき紅茶』の話を少し。
私のような素人、門外漢が偉そうな批評をするのは烏滸がましいが、小学生の頃から飲んでいるので、一家言はある。昔は紅茶に砂糖、温めた牛乳を少し入れてミルクティーが好きだった。大人になってからは、自然と何も入れずストレートを愉しむ。何も入れてないのに、マイルドな口当たり、ついついお代わりが欲しくなる。それが『きつき紅茶』だ。特に私には、「べにふうき」が美味い😋😋😋。
杵築市で紅茶を作り始めたのは、医者で、紀子ちゃんの祖父になる故 松山意佐美さん。1957年に北杵築という、ブログの909回で紹介した、波多方峠の手前の山を造成して、日本では珍しい紅茶の生産を始めた。
▲この電話か住所に申し込めば、購入できる、ハズ。
子供の頃から我が家では愛飲していて、確か白に近いミルクティー色の四角いブリキの小さな缶に入っていたような気がする。当時は、日東紅茶が主流だったが、味が良いと口コミで広まり、1964年には紅茶の品評会で日本一になったほどだ。
ところが1971年に紅茶の輸入自由化が実施されるとリプトンやトワイニングなど外国の紅茶が続々入ってきて、売り上げも生産量も大幅に減少し衰退して行った。ちょうどその頃、大学を卒業した紀子ちゃんは、大分県に帰ってきて農協だったか町役場だったかに勤めていて、地元のO分合同新聞だったか❓「県内初のT大卒◯◯女性職員」と紹介されたことがある。これだけでニュースになるのだから、よっぽどネタが無いのか、学歴が好きな県民性なのか。まぁニュースといえばニュースなのか⁉️
確かそこで知り合ったA南さんと結婚して、おじいちゃんの遺志を継いで、再び『きつき紅茶』を復活させた。毎年送ってもらって飲んではいたが、この冬から特に嗜好が紅茶に大きく変わった。これはすでに書いたと思う。
▲松山塾 この英語塾から田舎では信じられないほど難易度の高い大学に、続々合格💮💮💮していた。私の姉2人共そうだった。先生は田舎では珍しいT大卒で、超強面。県内でも屈指の著名な英語教師であり、K築高校の教員でもあった。因みに私は、高1の時に松山塾を破門された。これには私ならではのアホ話があるが、それはいずれまた。破門以降、もともと悪かった私の成績は、右肩下りで更に落ちた。トホホ。
今回松山廣先生の仏壇にお参りして驚いたのは、病気療養中だった奥様が昨年亡くなったことだった。
もう一つ、驚いたというか初耳だったのが、『きつき紅茶』のティーパックを発売し始めたことだ。これは私のようなものぐさには、朗報である。ティーポットを温めたりする手間が省ける。なにしろ1日に多い時は、3〜4回はティータイムなのだから。それに夏のアイスティーも、水出しで👍👍好いね❣️
ただ今日もティーポットに茶葉を入れて飲んでいる。これも江藤淳大先生の真似である。が、大先生のような < 香港ペニンシュラ•ホテル地下の銀細工屋の高級なティーポット>ではない。