念願の新島探訪(1394)

翌朝(10月15日)今回の当初の目的だった「新島」を訪れた。早朝6時過ぎに起きて桜島桟橋まで路面電車で出かけ、ここから桜島フェリーで桜島に渡る。このフェリーに乗る楽しみの一つに、船内に常設されている「うどん、そば」の店で、島にわたる15分ほどの間にひっきりなしで客がおとづれ流ほどの人気だった。が午前10時の回転とあって閉まっていた。残念。

午前8時2分桟橋発のバスに乗り込んだが、途中までしか行かないことがわかり、アチャー。バスの運転手さんにお礼を言って飛び降りる。たとえ終点まで行ってもそこから先の足がない。桟橋前のタクシーに乗り換え、待ち合わせの浦之前港に向かう。天気はいいのだが霞がかかっていて桜島は見えない。

<SNSより引用>

波止場では釣り客が3人、糸を垂らしていた。新島は指呼の間だ。新島は「しんじまん」と読む。桜島の北東1.2キロに位置する。詳しくはGoogle先生に訊いてもらうとして、江戸時代の安永の大噴火の時にできた。その後向かいの桜島から移住者が相次ぎ、多いときは200人以上住んでいたという。2013年までに次々と住民が島を離れ、無人島になっていた。そこに2年余り前ここで生まれ育ったひろ子ちゃんの妹和子さん、北九州から帰ってきて民宿を始めた。これが評判を呼び、マスコミが殺到。私もテレビ朝日やNHKBSで島暮らしの様子を見た。もとも新島の話は、ひろ子ちゃんからから散々聞かされていたので、なんだか懐かしい気分さえした。

午前9時15分の約束だが、8時30分前に着いてしまった。一応迎えのHひろ子ちゃんに電話をしておく。彼女は我々鹿児島の記者たちが毎晩のように訪れた『柿の実』の看板娘。当時は短大生で家の手伝いをしていた。妹か親戚の娘さんくらいの感覚なので、気楽に何でも声を掛けてしまう。15分ほど早く迎えに来てくれた、それに合わせるように島からS々木直行さんが自家用船で現れた。

15分足らずで島に到着。「🤗やったー」これで再び鹿児島の有人島で訪れてないのは、喜界島と与論島だけになった。今日は小学生の見学会があり、地元の鹿児島読売テレビが取材撮影に来るというので、さっさと島内を案内してもらう。ひろ子ちゃんは、向かいの桜島町に小学校からの同級生のご主人と暮らしているにだが、マスコミの付き合いは手慣れたものだし、学校に出てくるまではこの新島に住んでいたから、地理や歴史に詳しく、しかも食べられる野草の紹介で定評がある。

小学生たちが到着する時間が近づいたので、赤穂の大木の前で別れ、勝手に島内散策を続けた。ものの30分も歩けば見てしまうので、のんびり竹藪で覆われた廃屋の続く中心街をテクテク散策する。小学生を送ってきた連絡船が帰る時間が近づいたので港に戻ると、すでにひろ子ちゃんが20人ほどの小学生や家族を前に島の来歴を語っていた。みんなに挨拶すると船に飛び乗った。「お歳は70歳になっていますか?」と船長に訊かれたので「いいえ」と応じると、「では100円」と。

一日数本しか通らないバスの時間に合わせたので、今度は朝終点だった東白浜まで。そこで乗り換えて桜島桟橋前へ。

天気は好いし、長閑な島の景色に誘われて、近くの『マグマ温泉』に入る。窓から錦江湾やフェリーが行き交う様子がハッキリ見える。遠くに磯庭園も。来てよかった。

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