桜島から帰るフェリーで念願のうどんを食べた。あれっ?以前食べた味と違うような。客も私一人だけ。なんだろう?期待が大きかった分がっかり。残念。みんなに散々PRしたから訂正しなくては。つくり手が違うからなのか。
気落ちしながらタラタラ桟橋前のバス停へ。鹿児島市市内を15分か20分おきに回ってくる周遊バスが便利だ。昨日も30年ぶりくらいに城山に登るのにこのバスを使った。磯庭園のある仙巌園に向かう。NHK大河ドラマの『篤姫』や『西郷(せご)どん』でよく見た風景。鹿児島の記者時代は、まだ加藤剛さんの『獅子の時代』が語られる程度で寄れほどポプラーではなかったが、全国の天気や市内のスケッチをニュースにするときは、「磯庭園」と相場が決まっていた。
暑くて喉がカラカラ。綺麗な喫茶店で白熊を食べる。昨日も城山から歩いて降りた後は、真っ直ぐ宿泊先のリッチモンドホテルの斜め前にある天文館の『無邪気』に行き食べたばかり。やはり比べるのは気の毒だが、喉が渇いている分美味しい。
<上は無邪気の白熊>
<磯庭園で食べたしろくま写真を撮るのを忘れていた>
私は5年ほど前にトイレ探検隊の「明治産業遺産」取材で来たばかり。それでもここからの桜島を眺めるのは、特別の感慨がある。
<騎射場の『勝ちゃん』 ここに寄らずには鹿児島に帰ったとは言えない>
周遊バスで天文館に戻りホテルで一休みした後、親友のO迫英世、文子夫妻と騎射場の『勝ちゃん』へ。余りに美味すぎて写真を撮るのを全く忘れてしまった。帰りに私の定番夜のラーメンはここと決めてある『三養軒」に寄ろうと思ったら、まだ閉店したままだった。まさか廃業したのではないだろうな、心配。
<201119年3月4日に訪れた時に撮影。美味いんだな〜これが>
代わりに地蔵角の派出所前にできたうどんの『かどや」に初めて入った。なかなかコシのあるうどんで食感がいい。天ぷらも納得がいくサクサクと好い揚具合。もう食べられないというところで店仕舞いだった。
鹿児島最終日の16日は、私が取材したかった市内坂之上にある宅老所『いろ葉』を外から見せてもらう。やはりコロナが終息していない以上、無理にというか気軽に「見学させてください」とは行かず、日勤の男性に名刺を渡して、「改めて伺わせてください」と挨拶して、施設の撮影だけして引き上げた。この施設のN迎聡子さんは、介護業界では有名人で、NHKの教育テレビにも出演したことがあるらしい。彼女の書いたエッセーなどを雑誌でいくつか読んでいたし、9月にお会いした介護界のレジェンドM好春樹さんが「彼女は凄いですよ、機会があったら会うといいです」と話していたので是非にと思ったのだが。この時期ではタイミングが良くない。
さて昨晩のO迫夫妻と一緒に彼らが勧める指宿の露天風呂『たまて箱』に向かう。途中というか、指宿を過ぎてどんどん西進するのであれ?と思っていたら頴娃町にある『潮や、』へ。この店は町おこしの一環らしく、100年ほど前の古民家を改装して作られた食事どころ。鰹節の出汁を効かせたお茶漬けが人気で、土曜日ということもあって女性客でいっぱい。
頴娃町は交通事故の記事を書いた程度で、訪れたのは初めて。当時は通過する町の一つだったから、よくまぁこんな辺鄙なところに?と思わないでもなかったが、それを逆手に取って昔ながらの風情を生かした街づくりというのは、若い人の発想ならでは。大したもんだ。
温泉『たまて箱』は初めて訪れた。薩摩富士「開聞岳」が間近に見える素晴らしいロケーション。以前は中国からの観光客が多くて、「芋を洗うくらいの人気だった」そうだが、コロナで入浴客もほどほどでのんびりできる。都城の自衛隊駐屯地で定年退職後再雇用され、募集、勧誘を担当しているというS元さんと一緒になる。国際平和協力活動(PKO)で南スーダンだったか?何度か派遣された経験談を面白く話してくれた。これだけ話が上手いと自衛隊員勧誘には打って付けかも。愉快な話にのぼせるほど湯船に浸かってしまい、外の風が心地よかった。
<鹿児島時代から一番好きないも焼酎 伊佐美>
大迫夫妻と鹿児島中央駅近くで別れて、夜は再び『勝ちゃん』に繰り出した。昨日写真を撮り忘れたリベンジ?というより、やはり鹿児島で屈指の美味さ、気楽さ、安さ、好い雰囲気の店となるとここなのだ。流石に昨日大量に食べたキビナゴはなかった。美味すぎて何度もお代わりしたくなるアジフライとカキフライ。超満足。
行きも帰りも路面電車にした。これだと鹿児島に帰ってきた気がする。