老いては若者に学ぶ 788

「愈々極めて愈々遠し(愈究而愈遠)」いう言葉は高校生のときオヤジに教わったのだが、のちに福沢諭吉の言葉だと知った。まぁオヤジはK応出身だったから考えてみれば、然もありなんことなのだが。この言葉は、別に知識に限ったわけではなく、様々な場面で考えさせられる。ここ最近学生たちを通してこの言葉を思い出すことが何度もある。

そのひとつ。K北新報のT島英弥さんの『東日本大震災 何も終わらない福島の5年 飯舘•南相馬から』(明石書店)を、M蔵野大学の課題図書にしたことは、すでに紹介した。この本の「感想レポート」を読んでいると、双葉郡浪江町出身の女子学生のものがあった。彼女は、家族と一緒に、「県内や県外の様々な避難所を転々」とした体験を綴ったあと、この作品の感想をこう述べている。

〈右往左往させられた飯舘村の人々や、今も風評被害で苦しい思いをしている南相馬の人々の状況や思いを知ることができてよかった〉

自身も大変な目にあったのに、同じ被災者への想いを寄せていた。

今日(17日)は、阪神淡路大震災から23年だった。私は午前4時半から起きていて、5時46分には黙祷を捧げた。震災の翌々日飛行機で関西空港に降り、船で神戸港に着いて、グニャグニャの道路をどうにかタクシーで、前線本部がある神戸放送局近くの公園に到着した。北九州局から来たという、やたらと口達者な新人記者やその同期の物静かな、どこの局の誰だったか❓一緒だった。

こうした節目節目でしか、被災地のことを思い出さなくなった。それは直接の体験者でない以上、自分を責めても詮無いことかもしれないが、女子学生の場合は、いつも「3•11の記憶」が付いて回る。

彼女のレポートを読んだ日から再び、『原発の即時停止』の為に、何かをやらなければと考えるようになった。合わせて、これまで以上に福島産の作物などを積極的に買うようにしている。特にいつも買っている「相馬のきゅうり漬け」は、大好きだな。

歳を重ねてからは、益々若い人、学生たちに学ぶことが多くなったと感じている。

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