消灯は午後10時から翌朝6時まで。こんな時Kindleだと真っ暗でも読めるのが嬉しい。 24時間を長いと感じるか丁度いいと思えるかは、人それぞれの境遇もあるだろう。私のように時間を気にしなくて良い定年オヤジは、24時間が36時間でも本さえあればどうということはない。Kindleはその点素晴らしい。こんなことならもっとダウンロードしておけば良かったと後悔しそうだが、そんなに読めるわけでもないから。少し船が揺れるのを感じながら、しばし畏友H比野研ちゃんの言葉を思い出していた。
▼「この歳になって今更そんなに読めないんだから、どんどん捨てたらいい」と言われて、「そうだな」と首肯する私と、「いやいやあと10年は読むだろう。持っていればまた読むかもしれない」という私が、頭のなかで対立する。一番本を読まなかったのは、33歳から38歳までの5年近くだ。本より愉しいことが毎日待ち受けていたんだから無理もない。「本は買っても読みはせぬ」という日々だった。その後も精神的に読める状態ではなかったから、さらに数年はぼんやりしていた。
▼恩師・故小島晋治先生が、75歳になった時に、「もう本はいい。近所の図書館にみんな寄付したよ」と言っていた。若い頃から想像を絶するほど読んできた先生だけに「そうですね」と受け止めていた。亡くなる前、「小俣君、東京新聞はおもしろいねも」としきりに言っていた。ジャーナリストの大先輩H寿雄さんは90歳を超えているが、今も読書に余念がない。ジャーナリストは現代を読むのだから、それも理解できる。Hさんも東京新聞の愛読者だ。本を読むのは当然だけど、どれだけ幅広く読み漁るか?思いつくままに手当たり次第が、記者には一番合っている・・・と思いつつ微睡んだら、午前4時になっていた。
▼私の体内時計のことは以前書いたが、今日も午前2時過ぎに目を閉じたけれど、「日の出、日の出」と暗示をかけると、アラ不思議。時計を見ると午前4時20分だ。トイレに行って7階に上がると、既に何組かのカップルが待機している。私はどちら側から朝日が昇るのかよく分からなかったので、ひとり海を眺めていたお兄さんに聞くと「コッチらしいですよ」と指差してくれた。4時35分空が急に薄い紅に染まった。海面に霧があるのか、曇っているからなのか昇ってくる様子はない。と諦めかけたとき、紅蓮の炎のようなモネの“日の出”が見えた。身体が熱く感じる。20分ほどすると紅色は黄色味を帯びてきて、普通の太陽になった。
▼5時45分まで海を見つめていた。俺は何をしたいのだろうか?船底の布団に戻るとまだ真っ暗だった。『東京タラレバ娘』の続きを読んでいるうちに眠り込んでしまった。館内放送が「9時半をもちましてレストラン父島の朝食は終了しました」とアナウンスしていた。急に空腹を覚えたので、7階の展望ラウンジ母島に駆け上がり、厚切りトーストを注文したが、既に売り切れ。昨日に引き続き、ナポリタンとソーセージ、アイスティーで済ませる。 デッキに出ると無人の島々を見る乗船客が大勢並んでいた。汽笛が鳴るともう二見港だ。