「トキワ荘」マンガミュージアム(1129)

私のFacebookを見たことのある人は、すぐにお気づきかと思うが、かつて南長崎にあった漫画家集団のメッカ、いや漫画梁山泊『トキワ荘』(南長崎花咲公園)を再現したマンガミュージアムが7月7日にオープンするのを前に、関係者とメディアに公開された。
 
 
この日(6月27日)午前11時前に出かけた。副都心線が東横線と繋がってからは便利なもんで1時間足らずで西武池袋線東長崎駅まで来てしまった。
周囲は、桜新町の「サザエさん通り」と同じように『トキワ荘通り』と呼ばれ、縁のある建物の他、コロナ禍がなければ3月22日にオープン予定だったことをうかがわせるペナントが至る所に下げられていた。
 
 
<後ろ姿 右手が里中満智子先生>
 
式典には建設に関わった200人余りとメディア関係者50人ほどが来ていたが、来賓でTシャツにブレザー姿は私ただ一人だった。それにしてもこういう時には、豊島区と関係がある国会議員や都議会、区議会の議員も大勢列席しているのには驚いた。街頭演説をしない知事も挨拶に来ていた。
 
 
 
T野之夫豊島区長が、「5年計画で準備を進めてきた。寄付金は全国から4億円も集まり、皆さんの熱意がやっと実現した」と満面の笑みを浮かべて挨拶。確かに区長が高野さんでなければ、実現したかどうか怪しい。T野さんは池袋の西口にあった古書店のご主人で、文化を愛する区長だ。
 
 
<トキワ荘に憧れて、近くに住んでいたというS中満智子先生 建設にも尽力した一人 
 マスクをしていても、歳を取っても、本当にオーラが凄い>
 
式典では漫画家のS中満智子先生が、「ここに住んでおられた先生方が、今日の漫画文化を反映させた。日本の漫画文化発祥の地です」と。また実際にトキワ荘に住んでいたM野英子先生は、「漫画は悪書と言われ、家族からも辞めるように説得された時代だったが、ここにいると天国だった」と実感がこもったスピーチ。
 
このあとミュージアムの内覧会が行われ、70年前にタイムスリップしたような室内の再現に、来賓は口々に「あっ🤭🤭凄い〜」を連発していた。
 
 
<歩くとギシギシ音がするように作ってある階段 「外壁の汚れ、樋のサビまで再現した」と挨拶した渡辺建設の社長の話は面白かった>
 
<私が最も好きだった漫画家寺田ヒロオ先生の部屋>
 
<この部屋の天井板をJ事通信のN川記者が剥がし、私が持参したマジックで手塚治虫先生が
『リボンの騎士』を描かれた 私はアパートで落ちているものに記念にサインしてもらうつもりでマジックを待っていったのに、こんなことになって逆にビックリ>
 
<自室前でM野英子先生 たまたま近くにいた先生を発見、拝み倒して部屋の前で一枚>
 
内覧会は2階からスタートしたので、我々が招待されたキッカケの「お宝」を見るのは最後になった。「5方面記者クラブへ」の文字とともに手塚治虫先生が描かれた『リボンの騎士』の天井板は、1階から入ると正面に鎮座している。
 
<「皆さんのおかげで、唯一当時のトキワ荘のものが展示できました」とニコニコの区長
 左からJ事通信社N川さん、Y売新聞K出さん、区長、私、K同通信F島さん、N協会Y森さん 
Y森さんが、池袋警察署記者クラブの蚕棚のベッドの上に放り投げられていた天井板を発見>
 
帰りは歩いて数分のラーメン『松葉』で、トキワ荘の面々が愛したラーメンを5方面にいた時以来、38年ぶりに食べようとみんなで出掛けたが、長い行列の前に諦めた。せっかくなので、松葉の斜め前の路地を入ってすぐの所にあった実際のトキワ荘跡地を訪れた。
 
 
<今は「日本加除出版社」になっていて、当時のアパートの模型が記念に設置されている>
 
用事があるというN川さんや記者クラブ詰めの女性K林さん別れたあと、K出、F島両氏と、椎名町駅北口の『魚がし』で、ビールと寿司で再会を祝した。この店は私が18歳の時に上京して最初に食べたお寿司屋さんで、実に50年になる。5方面時代に記者仲間と度々訪れた。信じられない安さ。特上寿司が1000円。
 
 
「また今度」と別れたが、果たして次にいつ会えることか、これからの人生は一期一会だとしみじみ思った。
 
 
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