50年も前の人間関係が取り持つ縁で、9月11日はベトナム人による弁論大会の審査員をした。何となく唐突な話だが、学生時代にバイトしていた業界紙の記者だった I 田清さんと、この春50年ぶりに再会した。その際頼まれたのだが、私は間髪を容れず快諾した。
その理由は、我々の青春時代とベトナムとが切っても切れない関係にあるためだ。もしベトナム戦争がなかったら、ベトナム反戦運動がなかったら、私の人生も、いや当時の我々の世代の人生も大きく変わっていただろう。それは断言できる。
<ベトナム戦争の象徴的写真の1枚・SNSから引用>、今でも忘れられないのは、1968年1月20日に米軍の原子力空母エンタープライズが佐世保基地に寄港するのを阻止するために、高校1年の冬に現地に出かけたのがきっかけで、高校、プータロー、大学時代は反戦運動に参加していた。それはほとんど同世代の若者たちと一緒だろう。
大学4年生の就職試験の年、1975年4月30日、忘れもしない南ベトナム解放戦線と北ベトナム軍がサイゴンを制圧、南北ベトナムが統一された。そして翌年社会人となり、鹿児島放送局に赴任した直後の7月、ベトナム民主共和国は、ベトナム社会主義共和国となった。素直に喜ぶと同時に、自分の一つの青春時代が終わった気がした。
日本とベトナムの外交関係が結ばれたのが1973年だから、来年で50年となる。遠い昔の話のような気がするが、当時のことは不思議と思い出される。
ということで私の一方的な思い入れもあり引き受けた。日本にいるベトナム人は43万人余りだ。彼らとは思いがけない所で出会う。今の立ち食いそば活動、「そば活」の時も竹の塚駅からほど近い『そば滝』で、抜群に日本語の上手いクゥエンさん(写真)と知り合った。
<昼飯にでたフォーが抜群に美味かった>
新宿区内のホールで開かれた弁論大会には、関東地区の29人が参加したが、お世辞抜きで喋りが上手く、話の内容も優れていた。
<参加者と審査員の阪大と名経大教授、NPOの方たち>
来月2日に大使館で全国各地から選ばれた優秀者による決勝戦が開かれる。