15日午後5時過ぎに家を出て、新宿御苑駅に向かう。『北海』で、1年半ぶりにT野利夫夫妻を囲む会が開かれた。メンバーは、T野さんが特捜検事や副部長時代から親しい仲間たちだ。T野さんといえば、相撲協会危機管理審査委員長として、この所テレビに出ずっぱりだったので顔を見れば、「あぁ」と思い出す人も多いかと思う。
ネットでは悪意のある非難や中傷が多くて気の毒だったが、T野さんをよく知る我々からすれば、取るに足らない話だ。T野夫妻と我々は25年近くに亘って昵懇で、数々の想い出があるが、今でもよく話題に上るのは、彼が甲府の検事正になった時、みんなで官舎に泊まりがけでお祝いに出かけ、近くの温泉♨️♨️♨️で一緒に朝風呂に入ったことだ。T野さんが好かれるのは、こんな時にも馴染みの薄い地元の記者を仲間に入れてくれる所で、これが縁で東京との交流が一気に進んだ。
私は17年間司法担当だったが、その後も今だに付き合っている検察OBは何人もいる。その中でも多くの記者から慕われている最右翼がT野さんだと言っても過言ではないだろう。奥さんがこれまた出来た人で、朝駆けに行って朝食をご馳走してくれたのは、故吉永祐介夫人とT野さんの奥さん、それにK垣清水 夫人ぐらいなものだった。まぁ飯を食べさせてくれたから好い奥さんというわけではなく、人を大事にしてくれる方だった。もちろん今もそうだけど。
記者というのは、検事夫人からは「御用聞き」の類に見られることが少なくなかった。特に大阪から来て検事総長になった人の奥さんは、記者を虫ケラのように思っているのか、取り付く島がない対応をしていた。ご主人は丁寧な好い方だったが。
飲み会は、近況報告が中心で、今や重要ポストを占めているバリバリの現役ばかり。彼らの話に時々昔話が出ては、大笑いになることしきりだった。T野さんは、N協会の故伏見俊之記者、通称フーちゃんから「事件の取材を受けた記憶がない」という話に全員納得、大爆笑🤣🤣🤣🤣。確かに「ネタ跨ぎのフーちゃん」と異名を持つほど特ダネなどに関心のない珍しい記者だった。その分、愛される好人物で53歳で亡くなってからも、いつも話題に登場する。こうして愉しい夜はアッという間に更けて行った。